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Shorinji Kempo

輝く意欲のうかがえる目を育てる

今日は「目力」のお話しです。

鍛えるポイント「礼・目・声・手足」の二番目、「目」についてです。

 

目は私たちに視覚を与えてくれる体のとても大切な部分ですよね。目があるから見ることが出来ます。

見えることはあなたの能力を向上させるのにとても大きな力となってくれていますよね。

でも、それはあなたが注意深く観ようとしないと、上手に使えているとは言えません。

見えるということは、あなたに対する危険を知ることが出来ますし、他人の行いを観察して自分も同じことが出来る様に努力が出来る様になるではありませんか。

 

せっかく、物を見ることが出来ても、見ようとしない人には危険は大きくなります。

良い例が、道路の横断です。信号機のない交差点で、横断歩道があるからと左右も確認せずに渡ろうとすればとても危険ですよね。法律では信号機の無い所では、歩行者が優先され車は止まらなければならないと決められていますが、守ってくれる人ばかりだは有りませんよね。思い込みで動くから事故は起きるのです。周囲を観ずに「~だろう」と自分に都合よく考えると自制心が無くなりますが、「~かもしれない」と考えると、自分を制御できるようになります。周囲をしっかりと観察出来るようになるからです。

 

少林寺拳法を学ぶときに、師匠や先輩が技をやって見せてくれますが、いくら見ていても出来る様にはなりません。「知りたい・覚えたい」という気持ちがないとダメなのです。

教えてくれる人から見ていると、あなた方がこの気持ちが持てていると、目から受ける表情が輝いて見えるようになるのです。

まず、しっかりと「物事を正しく見る」(正見)という態度を持ちましょう。

 

少林寺拳法を学んでいて先ず、鍛えられるのが観察力です。物を観る力を養い、追及する心を引き出すようになって行くのです。

是非、私たちと一緒に学んでみませんか。

金剛禅の道院では皆さんをいつでもお待ちしています。

 

道院長 江間秀樹

Mail hideki362018772@gmail.com

人間関係を上手く築くには

「礼」というとどんなことを連想しますか、礼儀・作法・マナー

『礼とは、さまざまな行事のなかで規定されている動作や言行、服装や道具などの総称。春秋戦国時代、儒家によって観念的な意味が付与され、人間関係を円滑にすすめ社会秩序を維持するための道徳的な規範をも意味するようになった。』 とウィキペディアには載っていますね。

 

つまり、集団生活するなかで身に付けなければならないコミュニケーションの方法であって、これが出来ないと集団に一員として認識され、集団としての擁護の中に入ることが出来ないと考えた方がいいのです。人間だけではなく他の動物にもみられますので、種を維持して行くために私たちが人類として分かれる以前に身に付けてきた能力と考えた方が良いでしょう。

 

犬や猫、猿などを見ていても集団の中での力関係と併せて、仲間である手段として身に付けていなければならないことを感じ取ることが出来るのではないでしょうか。

つまり、簡単に考えて、軽んじてはいけないものだということです。

 

礼儀を持たない態度に対して、人間としての理性があるから対応してもらえるが、動物として持っている本能的には違和感を与えている、だから、集団にうまく溶け込めない。

 

あなたなら挨拶するときに笑顔で呼びかけられるのと、無視されるのとどちらが良いですか。

あなたが受けていやだと感じることを、あなたは他人に行なうべきではありません。

金剛禅で合掌をするのは、お互いに相手の命を尊び、認め合うことを示しあう作法なのです。

相手を尊重しない人は、相手からも尊重されません。現状を変えたければ、相手に文句を言うのではなく、先ず自分の態度から治すことです。他人を変えることは出来ませんが、自分が変われば、相手との関係も変化します。

先ず、自分を変えてみませんか。

金剛禅は自分の人間性を磨き、自信や勇気、行動力、正義感、慈悲心を身に付け、自分に自信をもって生きて行けるように学ぶ場です。

自分の現状に悩みを持たれているのならば、是非、金剛禅の道院にいらしてみてください。

ホームページにはまだ載っていない道院も多いので、ぜひ、お近くの道院を調べてみてください。

Mail hideki362018772@gmail.com

 

鍛え方のポイントは「礼・目・声・手足」

今日は頂いたメールへのお応えです。

 

「ブログを拝見しています。毎日のように更新されていて、読みごたえもある内容に驚いています。以前に教員研修会で先生のお話を伺ったことがあり、子供たちの指導に迷うと先生から頂いた資料を見直して障がい児本人のしなければならないこと、保護者がしなければならないこと、教員がしなければならないこと、福祉がしなければならないことと、それぞれへのメッセージがしっかりと書き込まれていて、他の立場を知ったうえで自分が教員として何をしなければならないかを確認しなおしていました。先生のブログを見つけて楽しみに読ませていただいています。ぜひ、子供たちのどんなところを教員として育成していけば良いのか取り上げて頂けないでしょうか、よろしくお願いいたします。」

というメールですね。

 

私は四つの鍛えどころを心得られていると成果が出ると感じています。

➀礼

私は子供たちに世の中に出ていくための最低限の力として、周囲からの支援を受けやすくするための挨拶の仕方として、「〇〇さん」と呼び掛けてからの挨拶や会話、返事を訓練することから始めさせます。名前を呼びかけさせることで相手に意識させることが、指示をもらいやすくなる環境を作り出すことになります。

②目

次に知能を使わずに仕事を覚えやすくするための手段として観察力を引き出すこと。仕事を覚えやすくするだけではなく、何も出来ないと思っていた子供に検品能力を見つけ出すことが出来たりします。訓練方法は間違い探しです。似た絵をならべ、違っているところへ違和感を持たせることで、観察力や集中力が身に付きます。

③声

どんどんと会話をする中で子供たちが安心できる相手だとあなたを認識し始めれば、場面緘黙の子供であっても、あなたの方に目を向けて話せるようになるでしょう。笑顔で話し続けることで、コミュニケーショ力が子供たちにもついてきます。

④手足

手足を使って自分で物を作らせていく事です。何度も作らせていく中で、要領を覚えますし判断力もついてきます。結果として行動力を引き出すことが出来る様になってきます。

 

以上の4点を指導者が心得て指導しましょう。周りで「~してあげる」という保護された教育では社会に出てやって行ける力を引き出したり、育てたりすることは出来ないと思います。色々な工夫で指導されてみてください。

 

今回のように、皆さんからの質問や相談をお待ちしています。

様々な指導力を育成する勉強としても金剛禅の道院で少林寺拳法を学んでみませんか、見学や体験入門から始めてみてください。最寄りの金剛禅の道院へご連絡ください。

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知っていますか、少林寺拳法を

今日は、「ブログを拝見して、なぜ少林寺拳法の事ではなく、悩みの相談や、教育について等を語られているのですか、少林寺拳法は武道ですよね、疑問に感じました。ぜひ教えてください。…」というメールを頂きましたのでお応えします。

 

少林寺拳法を武道としてとらえてしまうと「武道の先生なんかに相談しても脳筋な考え方で、相談にもならないでしょ・・・。」というイメージを持たれている方も多いでしょうか。

武道というと師と弟子といった上下関係の中で、戦い方ばかりを鍛えているような団体は確かに多いですから、嫌われる方も多くいらっしゃるでしょう。

金剛禅における少林寺拳法は「単なる武道ではなく、自己確立・自他共楽という精神を身に付ける」ための行(手段)です。

随分前のことになりますが、国際武道大学の柔道の先生が「武道は情操教育に役に立つ」ということを論じようと、武道各団体にアンケートテストを受けてもらい調査したことがありました。

結果は少林寺拳法は、調査に参加した他の団体と明らかに違い、経験年数や段位によって的確に数値がよかったという答えが出たために、その先生が我々の道院長研修に来て発表してくださったことがあり、当時、おおきな話題となりました。

少林寺拳法は他の武道とは目的が違い、学び方も違います。

物事を考えて行動するのではなく、上下関係を重んじ、指示に従うという傾向の強い日本の社会の中で、私たちは兄弟や同志、愛する人たちと信頼し合い、横のつながりを強く説いています。誠実に相手を認め、拝みあう社会を目指しています。挨拶もそういう思いを込めて合掌なのです。

日々の訓練の中で「金剛禅の教えを学べる」という環境が、肉体的な強さへの追及から、精神性の向上へと移り変わっていくという特徴を持っているのです。

他者との競争による目的の達成ではなく、個人の強化と他者との協調による理想の実現という目標が、個人の変革を促すのです。

結果、求める「強さの目的」も、「目的を達成するための手段」も全く違ってくるのです。

居場所を求められる方、自分を変えたいと思う方は、是非、金剛禅の門を叩いて話を聞いてみてください。

「聞く力・観る力・話す力・説く力・集う力」がとても養成され、あなたを救う力が身に付いてきます。

一緒に楽しく修行してみませんか。

 

Mail hideki362018772@gmail.com

(相談・質問 いつもありがとうございます。皆さんからのメールでブログの更新も順調です。是非、以前に書いたものも見直し続けてください。以前には見えていなかったことが見えてくると思います。これからもよろしくお願い致します。)

子供の自立と親のかかわり方

観察力があり呑み込みの早い弘章君。

昨日の法話は彼をめぐって「親と子のかかわり方」という論議になってしまいました。

子供の考え方と親の考え方の違いを、皆もよく感じとれたのではないでしょうか。

 

親にとって子供に求めることって何でしょう。

「してあげる」という態度を身内が止めなければ、「してもらって当然」と思う子が育って当たり前だとは思いませんか。

親が子供を心配しすぎる余り、いつまでもかまい過ぎれば、子供は頼みやすい親に押し付け、依頼心が強くなっていくのです。いつまでも親が出て解決しなければ何も自分では出来ない、判断力も、責任感も無い人間になってしまうのは必然ではないでしょうか。

社会に出れば、自分中心ではいられない現実ばかりで、当然、負うべき分担からも逃げているようでは、負担の増える周囲の誰からも受け入れられず、居場所のない子にしてしまうことになります。

いつも親を頼り、頼れる親がいなければ不安に圧し潰されてしまうようになってしまってもいいのですか。それでは親もいつまでも「この子はやって行けるのか・・・。」と不安を抱え続けて行かなければなりませんね。

ならば、「親亡き後」を考え、教えるべきは「自分で自立して生きていける力」を養わせることではないのですか。

子供が熱中することがあるのならば、それは幸いだと考え、どんな方向性で生きていく術に結び付けられるのかを考え期待してあげた方が可能性の芽を伸ばすでしょうね。

子供が集中できる、環境を整えてあげた方が自分で力を伸ばしていくものです。

「一芸に秀でる者は多芸に通ずる」という諺がありますが、会得の仕方を身に付ければ、その経験を活かし成長出来る様になっていくのです。

子供は色々なことにチャレンジして能力を身に付け、自分の可能性を見つけ出していく事が重要なので、親の言うことを聞いてよい子にしていれば良い等と考えさせてしまう方が失敗だと私は思います。

金剛禅では「己こそ己の寄るべ、己をおきて誰に寄るべぞ、良く整えし己こそまこと得難き寄るべなり、自ら悪をなさば自ら汚れ、自ら悪をなさざれば自らが潔し、潔きも潔からざるも自らのことなり、他の者に寄りて潔むることを得ずと唱え、「自立」という方向性を示した上で、物事の学び方(修行の心得)を教えています。

子供にとっては理解の出来ない、「押し付けにしか感じなくなってしまう」教え方では何も身に付きはしません。

他人から見れば親が安心したいだけで、子供の将来を考え干渉しすぎです。

家族で相談しながら本人の納得できる予定表を作り、目覚まし時計でも与え時間を自分で管理させることから始めてはいかがですか。

一歩一歩の自立に向けた成長を褒めて伸ばせばお互いにストレスが無くなっていきますよ。

男は社会のなかでもまれて強くなっていかなければ、自分の新しい家族をつくり、支えていく力を身に付けることは出来ません。いつまでも心配していたいですか。

言い方がきつくなるかもしれませんが、いつまでもオシメを替えているようなかかわり方ではダメですね。親のかかわり方も「育てる」から「鍛える」に変化させ、離れ「自立させる」と変化していかなければなりません。

金剛禅では、これを「拳の三訓」として説いています。拳士たちには別の表現で教えていますが、親御さんに解りやすく説明しますと

「主」=「愛という基本を教え育てる」

「破」=「自分の愛を身に付けさせる」

「離」=「自立させ自分の愛を守らせる」

という関わり方の変化です。

不安は言い出せば大きくなっていくだけです。負の感情から抜け出すために

「心配せずに、怒る心も持たず、成長を感謝して、物事に励む、他人への親切を忘れない」

そういう姿勢で、ご自身の安心も築かれてはいかがでしょうか。

また、ご相談ください。

 

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楽しいおしゃべり

紗優那さん(皆からさゆちゃんと呼ばれています)

自分でお話を始めると好きな音楽や歌手のお話をマシンガントークしてしまい小学生たち(私やさと子先生も)お話についていけないので(チンプンカンプン)

「今からはみんなで質問していいぞ!!」(わたし)

「え~しつもん~」(うろたえている、さゆちゃん)

「ねえ・・もう告白されたことありますか?」(男の子たち)

「え、エ~・・・」(モジモジしてる、さゆちゃん)

「その様子だとあるけど意中の人ではなかったのかな。」(わたし)

「じゃあさ、好きな人のタイプってどんなよ。」(わたし…助け舟)

「優しくて、背が高くて、かっこいい人」(さゆちゃん)

さっきまでマシンガントークしていた紗優那さんがシドロモドロになって答えていました。

(彼女は自分のペースでなくなると表情や態度、言葉の端に答えが出てしまうのです)

「あれ、それって兄ちゃんじゃんか」(わたし)

「え!おに~じゃないよ、優しくないもん。」(さゆちゃん)
(ほ~お兄ちゃん子だったから、少し距離を取り始めたのかな、俺も経験あるな~)

 (私の勝手な回想というか経験上の読みだけどね・・・)

 

「身近にかっこいいお兄ちゃんがいると大変だな~男子たちは」

           (わたし)

その後はお兄ちゃんの近況を教えてくれました。

『男子たち頑張れ!!』

      (わたしの心の声)

 

平常心を失うと心が態度や言葉に出てしまいますね・・・みんなで楽しくトークしませんか。

おしゃべりも話法や対応力のコミュニケーション訓練、楽しまないとね

新入門歓迎いたします。連絡・相談・質問お待ちしております。

 

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返書や礼書は私の宝物

今日は先日、授業に呼んでいただいた笠井中学の皆さんからお礼の手紙を頂き、生徒さんたちの書かれた一通一通を読ませていただきました。

頑張って先生たちに習いながら書いてくれたのでしょう。

似たような文面の中にも、それぞれに感じ取った部分は違うようで「この子はここか!この子はここなんだと!」受け取ってくれた部分の違いに読んでいて楽しみを感じます。

 

このところ新型コロナの影響で、武専で各地へ指導しに行く機会から遠ざかっているのですが、指導に行った後に頂く、学生さんたちからのアンケートはとても楽しみにしているのです。帰りの新幹線の中で読み返しながら生徒さんたちが受け取ってくれたことを、たくさん書き込んでくれているのがとてもうれしく、毎回、ファイルして宝物にしています。

 

真剣に伝えようと努力するから、相手からも真剣な返信が頂けるのだ・・・そう考え話し方もいろいろと訓練し取り組むのです。

皆さんも普段から人前に立ち話すという訓練をしていきましょう。

思っているだけではダメなんですよ。伝える力を持たなければ伝わりません。

金剛禅では法話や法座という、人前でしゃべったり、一つの課題に対して意見を述べ合ったりする時間があります。

私も金剛禅で法話を学んできたからこそ、人前でお話しするという特別な機会にも恵まれそれを難なくこなせているのです。

金剛禅で学ぶ少林寺拳法は剛法・柔法・整法の三法のほかに、話法が身に付けられていくのです。ぜひ、入門してみませんか、歓迎いたします。

最寄りの道院へ是非、見学にいらしてください、あなたの人生の支えが築けます。

 

Mail hideki362018772@gmail.com

(いつも質問や相談していただきありがとうございます。質問いただいた時にはそれに沿ったお応えをしています。是非、気軽にご相談ください。)

 

ソウナンですか?ていう漫画読みましたか?

今日は私のおすすめの漫画コミックスのお話しから、昨日、発売された「ソウナンですか?」9巻 (原作 岡本健太郎 漫画 さがら梨々 講談社ヤンマガKC)を是非読んでもらいたいと思います。

飛行機事故で奇跡的に助かった女子高生4人が無人島にたどり着き、主人公の鬼島ほまれを中心に協力し合いながら生き抜き、自分たちで作り上げた船で無人島を出発したものの、嵐にあい、ほまれ一人が大海原に投げ出されてしまう。ここまでが今までのストーリー。

9巻はクライマックスシーンで、仲間の絆の深さで信じあい、様々な努力で再開を信じ努力するというストーリーになっています。

 

この「ソウナンですか?」に描かれた、サバイバル知識はとても参考になりますし、自分たちの助かる可能性を低めても仲間が生きていることを信じて、最善を尽くすシーンには学ぶべきものがあります。

 

自分の主張ばかりで相手を貶めようとする人が多くなり、他人を見下し、言葉も選ばずにものを言い、敵を作る人が多くなっている世の中ですが、相手の事を思い、信じあい、助け合って理想境を作り上げていこうというのが、私たちの金剛禅の教えです。

上も下もない協力し合う同志なのです。互いに出来ること得意なことは違いますが、それを持ち寄りながら「半ばは自己の幸せを、半ばは他人の幸せを」と拝みあいながら支えあっていきたいものです。 この漫画コミックスを読み、心が洗われた思いです。

 

                   道院長 江間秀樹

 

 

今日は浜北武道館で昇級試験と西部第一小教区の道院長会議を行いました

浜北武道館で20時より時より、第一教区内の道院長と顧問の坪井先生が集まり、コロナ過の各道院の状況などを報告しあい、出来うる対策をみんなで考えようと意見を出し合いました。

非常事態宣言が解除され、季節も運動のしやすい時期。この時期をいかに有効に対策を立てるかが重要になります。門下生の皆さんにも是非、各道院の活動を盛り上げるようにお手伝いいただきたいと願います。

今日は、ホームページをどのように進めていけばいいのか、引佐の江間道院長がパソコンを会場に持ち込み、実際にその場で記事を書いてブログの更新を行なってみました。

新しいことにみんなで取り組み、県教区のブログが常に更新されるようにみんなで頑張りましょうということになりました。

ブログの出来上がりを、見ていた昇級試験を終えたばかりの少年拳士が、自分の所属する道院長に「僕も載りたい・・・。」と言っていました。

門下生のためにも、頑張ってみましょう。

久しぶりに頑張りすぎました(練習前のあそびですけど・・・)

一日の金曜日から道院での修練を再開し、三日連ちゃんの練習日。普段、めい一杯の仕事をしている身には随分と負担が大きかったようで、本日は仕事中に腰に激痛が走り、半日、有休をとらせてもらい整形外科へ行くことにしました。午後の診察が3時からなので、職場の皆さんの勧めもあり、久しぶりに銭湯に行ってきました。

会社の近くに「しおり」というスーパー銭湯があるのですが、露天風呂にある電気風呂が腰痛に効果てきめんで、足を付けた瞬間にビリビリと固まってしまいましたが、リズムよく強弱があり、パターンも変わるようで左側だけ攣ってしまって激痛の走っていた部分が大分楽になりました。皆さんも、緊急事態宣言の期間を終えて生活のリズムがまた変わると思いますが、あまり無理をしない様にしましょうね。

(無理をしっ放しの私の言えることでもないのですが・・・。)

 

今日は、仕方がないので半日、しっかりと休み、明日には復調できるように努力します。

(努力というのもおかしいですね)

達磨大師の教えに「直指人心見性成仏」(じきしにんしんけんしょうじょうぶつ)という教えがあります。簡単に言えば体の中に内在する力を感じ、引き出し悟りを得るという教えですが、体の隅々に気を巡らせ、痛みによる気の出っ張りや病による気のへこみを無くすように脱力して寝ていると体が大分楽になるものです。

白隠禅師の内観の法や軟酥の法という自己暗示を用いた方法があり下記のURLに解りやすい説明がされていますので参考に試されてみるといいでしょう。

http://zutsuu-daigaku.my.coocan.jp/hosp/22hakuin.htm

 

身体には色々な不思議な力が備わっていることが実感できると思います。

金剛禅の行なう「少林寺拳法」も修行段階が進めば進むほど理を得た法形(技の事)が身につくものです。

少林寺では技を「型」とせずに「形」という字を用いた上で、更に「法」という文字を乗せ「法形」としているのは、技(少林寺拳法)の訓練は、型にはめこもうとするためのものではないと説かれ説明されています。

自由に変化しながら、その真に法(=理)を見出すことが目的であり、法を求めた金剛禅の行であるという理解が出来る様になると、少林寺拳法を行うことの意義がスポーツではなく行だと気付くことが出来る様になってくるのです。

大学や高校で少林寺拳法を始めたけどクラブを引退し離れている方も多いですよね。とても残念なことです。

道院の少林寺拳法はとても奥が深いですよ。

ぜひ、最寄りの道院で復帰されてみてはいかがですか。

クラブ出身者なら段位をお持ちのはずですから、武専にも入って深く学んでみることをお勧めいたします。

                  道院長 江間秀樹