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Shorinji Kempo

行としての少林寺拳法は道院で、復帰してみませんかクラブ経験者の皆さん

「少林寺拳法は宗教なのですか?」という質問を受けました。

 

答えは、少林寺拳法自体は宗教ではありませんが、金剛禅は釈尊を始祖とし、達磨大師を祖師として本尊にしている仏門の宗教です。

金剛禅における、少林寺拳法は易筋行という、自己確立と自他共楽を目指した修養の手段として行われているのです。

これに対して、学校や企業のクラブで行っている少林寺拳法には宗教性はなく、純然たる武道として学ばれているのです。

 

易筋行としての取り組みと、武道としての取り組みの違いは、同じ少林寺拳法を学んでいても目的が違うのですから効果も違います。

金剛禅では自己の支えを築くための行として取り組んでいますので、道院での修養は、単に体力の強さを鍛えるための行いではなく、同志として助け合いながら、各々が自己を鍛えて自信と勇気と行動力を鍛え、正義感と慈悲心を身に付けていくというものなのです。

 

別段、違う技術というわけではありませんが、クラブでは高い精神力を求めるということはありませんので、法話を聞いたり、法座を組んで話し合ったりという機会はありませんので、ご承知おきください。

 

少林寺拳法をクラブ活動で行っていたことがあるという皆さんも多いと思いますが、是非、道院で少林寺拳法を学びなおしてみませんか。学んでいて見えてくるもの、得られるものは違いますよ。

 

私も、高校のクラブとして始め、大学のクラブも経験し、社会人になってからは金剛禅の道院に転籍し学んだ者の一人です。学生時代に経験した少林寺拳法をすべてだと思ってはいけません。ぜひ、もっと奥の深い少林寺拳法を学んでみませんか。

道院ではクラブでの経験者の皆さんの少林寺拳法への復帰もお待ちしています。

            

     道院長 江間秀樹

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携帯 090-3835-9109(ショートメールにてご連絡ください)

              

懐かしい静岡中央体育館に来ています

実は、私にとっては少林寺拳法を始めたのがこの場所で、とても懐かしい場所なのです。

今日は、県教区の達磨祭と本山公認県教区講習会が行われたのですが、私達、道院長は別プログラムで開祖の思い出話を法座の形で行いました。

参加したそれぞれの道院長が、自分の持っている開祖の思い出を話し合いました。

皆さんの共通点は、金剛禅の教えを受けて、その教えを身の回りで実践することによって、地域や社会でリーダーシップをとっている自分になっていることを実感していることでした。

今日は他に有志で集まってホームページのブログの書き方を勉強しました。

皆さん読んだら「いいね」をお願いしますね。

今日は、講習会の中では写真を撮ることが禁止されていますので、会場の周りで思い出の場所の写真を採用しました。

この橋から誰かが落とされた思い出が・・・

(私の高校時代は荒れていた時代で、ここで暴走族と乱闘になったこともあったり・・・懐かしいな)

皆さんも楽しい仲間を作って、楽しい思い出を語れるようにしてみませんか

金剛禅の道院は皆さんをお持ちしています

道院長 江間秀樹

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自分の事だけではなく、せめて半分は他人の幸せを考える

きょうは開祖の言葉を考えるシリーズです。

 

「・・・己と他との関係、我も存在するが我以外の、自分とは様々に違った他も存在するという、このわかりきったようですぐ忘れてしまう人間社会の事実を認識していく。しかも自他共楽の存在・関係を認識する中で、自分の事だけでなく、せめて半分は他人の気持ちやら幸せを考えられる人間に自らを変えていく。これが私たちの生き方だし私との出会いが、そうした自己変革への一つの契機になってくれればいいということです。」

                                      1973年10月 全国指導者講習会

 

自分が「ほどこす」という立場でも、「ほどこされる」という立場でもなく、提供し合い共存共栄をしていかないと、自分の大切な家族を守ることが出来ないという事実を皆さんは知っていますか?

献血の呼びかけをしていると、了解してくださる方が非常に少ないのですが、断ってくる人の理由に多いのが、「万が一、身内が病気で血液が必要な時には自分たち家族で助け合えばいいのだから献血など必要ない。」と言われる方が非常に多いのです。

こういうことを言われる方には「輸血後GVHD」という症状を説明し、直系の近親者の輸血がいかに危険であり、この症状になってしまうとほぼすべての患者が死に至ることを知って頂くのです。

詳しくは下記のURLをご覧ください。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BC%B8%E8%A1%80%E5%BE%8C%E7%A7%BB%E6%A4%8D%E7%89%87%E5%AF%BE%E5%AE%BF%E4%B8%BB%E7%97%85

つまり、あなたの大切な家族が病気や事故による怪我で血液が必要になったときに必要になるのは、他人から提供された血液なのです。

あなたのような理由で献血を誰もが断っていたら誰も助けることは出来なくなってしまうのです。

そういう説明をしていると、「そうか、そうだったんだ。さっき説明をしてくれてから気になって検索してみたよ。本当だった。自分の無知と了見の狭さを思い知ったよ。ずっと活動を見せてもらっていたけど、ボランティアだったなんて信じられない、あなた方の必死な活動に心が打たれたよ、献血したいから説明してください。」という人がとても多いのです。

誰でも恐怖心は持っていますが、善意も持っているのです。

善意を引き出すためには、正確な情報を説明したうえで、私たちの呼びかける姿勢で判断していただくしかないのです。

今日、用いた画像は台風の中で活動していた時のものです。

カッパを着てもずぶぬれになりながらも、必死に呼びかけていると、車の窓をわざわざ開けて、「今行くよ兄ちゃん、頑張って!!」と声をかけてくれる方たちがいるのです。

必死の姿勢だから、条件の悪さを超えて善意を献血という形にして支えてくださる方たちがいるのです。

私は、金剛禅で得た体力や意思をこうしたことに使っていきたいのです。

是非、金剛禅の道院にいらしてください。

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携帯 090-3835-9109

(皆さんからの質問やご意見をお願いいたします。)

 

会話の大切さというのを考えたことがありますか?

コロナ過で自由に会話が出来ないこともありますし、マスクを着けていて話しづらいという事もあり、他人と意思を通じ合う機会がとても減ってしまっていますね。

私の勤める職場には、知的障害だけではなく、場面緘黙の症状のある社員がいます。

場面緘黙とは

・上司や同僚の質問に対して返事ができない

・休憩中に雑談をしたくてもできない

・言いたいことがあるのに発言できない

・指示が分からなかったのに聞き返す事ができない

・初めての状況だと身体が思うように動かない

・注目されると簡単な作業でも身体が固まってしまう

こうした症状がある方でも、私から常に話しかけるようにしていたら、緊張することもなく、普通に話が出来るようになり、会話の出来る相手もだんだんに増えてきています。

「普通には話せない」という事を周囲が理解したうえで、表情を返事だと受け取りながら会話しないと、「なんで、返事もしないの」ということになってしまい、働ける環境ではなくなってしまいます。

 

また、聴覚障害の方もいるのですが、彼女は私の口の動きを読んで話を理解しますので、マスクをしていると会話ではなく、しっかりと筆談しないと理解できませんし、目の前に立たないと、私が近くにいることすら気が付かないのです。用があるときには肩に触れて伝えたいことがあると合図したうえで、筆談か手話で確認するしかありません、呼び止めるという事が出来ないという事を理解したうえで、お話ししなければコミュニケーションはとれないのです。

 

今回のお話しで皆さんに知ってもらいたいのは、皆さんには「出来て当たり前だろ、出来ない方がおかしいのだ。」という無知による態度をあなたも改めて、他人に対する観察力と配慮に気が付く優しさと、補うことの出来る知恵を持ってほしいということです。

 

「当たり前」と考えるのはあなたの尺度でしかない。自己中心的な態度でしかないのだということを自覚すれば、他者への観察力を働き、配慮も考えられるようになって行くのです。

当たり前という考え方をやめて、どうしたら理解しやすい環境を作り出すことが出来るのかを考えて行きましょう。

そうした意識と工夫が「安心」できる環境を作り出していくことになるのです。

 

金剛禅は単に少林寺拳法を学ぶという場ではありません。周囲に目を向ける意識を育て、助け合える仲間を作り、良い世の中にしていこうという目的を持ち、集う場なのです。

皆さんも是非、この「幸福運動」に参加してください。

           

           道院長 江間秀樹

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皆さんからの質問をお待ちしています。

冷え込む日が増えてきましたネ

昨日のブログでアップした猫(むぎ♀)ちゃんとの画像にかわいいというメールを頂きありがとうございます。

 

会社で郡山の営業所から戻されてきたレンタル用の布団の中に産み落とされて、布団に紛れて親から離され浜松迄運ばれて来てから見つかり、配送の者から頼まれ引き取りました。

 

まだ、目も空いていなかった子猫三匹を夜もろくに寝ずに世話をして育て、今はもう1歳と4か月になりました。

(ほかの二匹は引き取って下さる方を見つけ、むぎだけ手元に残したのです。)

すぐに動物病院に連れて行くと「生まれてからまだ三日ほどで、親猫がいないと育つのは難しいだろうな・・。」と先生から言われたのですが、ミルクを哺乳瓶で与え、ゲップをさせ、排便を促す事の連続の日々でした。

いまでも、わたしの耳にしゃぶりついている甘えん坊です。

 

時々、私の休みの日に会社に連れてより同僚たちに見せるのですが、一緒に育てた仲間たちによく生き残れたな、かわいくなったと皆でかわいがっているので会社の同僚たちには懐いているのです。

 

障がい者が一緒に働いている部署ですから、面倒見の良い人たちが多いのです。

 

「育てる」という気持ちが大切で、出来て当たり前だろ」という考えでは、障がい者と一緒に働くことは難しいのです。

ほとんどの障がい者は保護的環境下で「~してくれて当たり前」の教育しか受けていない事が多いですから周囲の方は、気を配り、指示の上手な方でないと難しいのです。

 

皆さん、周囲の者に優しさを持って接するという心配りをしあいませんか。そういう環境を作れば、難しい条件を抱えていても「育てていく事」は出来るのです。

 

あなたからその輪を広げていきませんか。

 

金剛禅の道院は心身を養い、優しさと、強さを身に付ける修養の場です。

是非、見学にお越しください。

 

              道院長 江間秀樹

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和顔愛語を取り戻してみましょう

(笑顔と優しさを取り戻してみませんか)

今日はお子さんの教育で悩んでいるシングルマザーからの相談メールを頂きましたので、お応えしていきます。

「子供には知的障害があり、一人で育てています。心配でつい叱りすぎてしまうのを自覚しています。どうしていけばいいのか・・・(略)。」という内容です。

 

知的障害のお子さんですから、言葉の遅れもとても心配になりますよね。最初は「ママ」とか「まんま」など単語しか使えない時期がながく続いていたと思います。

先ず、将来のことを考えて、母子手帳の記載と定期健診は必ず受けて、チェック事項は必ず埋めるようにしておいてください。将来、お子さんが障害基礎年金の受給審査に必ず、必要になります。精神科への定期的な検診も必ず行っておくことです。先ず、相談支援事業所が区役所にありますので、区役所へ行き相談して計画を立てましょう。無料の支援ですので必ず行ってください。

先ず、あなたの抱えている経済的な心配を、「社会保障」を受けることで軽減することが大切です。社会福祉課があなたの状況にあったアドバイスをしてくれますので安心して相談してください。あなたの不安が大きすぎると、お子さんには良い教育は出来ません。

一人で育てているということで、周りとのコミュニケーションを失っているようですね、よくこのホームページを見つけてメールしてくださいました。

もうあなたは一人ではありません。わたしが相談相手です。

相談できる人が出来たのだから心配し過ぎて叱りすぎるのは止めましょう。

これからは「笑顔」でお子さんに接し、「良い言葉」で諭していくのです。

これまでは自分の不安を「親の気持ち」と言って子供にぶつけてしまっていただけかもしれませんね。子供にしてみれば叱られた「怖い」という感情しか持てていなかったから、何をどうしたらいいのかが分からないままだったと思います。

あなたに先ず身に付けて頂きたいのは「笑顔」です。

お子さんは鬼のように怖い顔で怒るあなたと、笑顔で優しく教えてくれるお母さんと、どちらのお母さんが好きでしょうか?

当然、明るい笑顔でやさしく教えてくれるお母さんです。

でも、どうしたら出来るのか?わかりませんよね。

そこで、やってもらいたいのが絵本の読み聞かせです。

とても良い親子関係を取り戻すことが出来ますのでやってみてください。

「和顔愛語」の姿勢が大切です。

怒るこころを無くし、心配するのをやめ、感謝の心を持って、なすべきことを成して行きましょう。他人への親切を心掛ければあなたにも明るい心が戻ります。

 

金剛禅の道院は少林寺拳法を学ぶだけのスポーツ教室ではありません。私たちは「魂の教師であれ」と学んできました。ぜひ、これからもご相談してください。

           道院長 江間秀樹

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自信を持つのには対応力が必要さ

今日は、障害を持つお子さんのお母さんから「少林寺拳法はスポーツや武道とどう違うのですか」という質問をいただきましたのでお応えしていきます。

 

「出来ない」と思うとずっと出来ないままになってしまったり自信が持てなかったりで、進まないことがあります。そのままにしてはいけません。

 

練習しているのは大車輪という側転を使った受け身なのですが、子供たちには体の重みを支える腕力が足りないので出来ない場合が多いのです。

この画像のように台を使って肘で身体を支えるようにさせると出来たりします。

床で出来ていた者には新しいチャレンジとして取り組んでみるのもいい刺激になります。

私は、出来ないことをそのままにするのではなく、「何が足りないのかを考えて、工夫する楽しさ」を持ってもらいたいのです。

 

少林寺拳法の技は、「法形」と呼ばれているのですが、「型」とはせずに「形」という字を当てているのは、がちがちにはめ込んだものではなく、状況に応じて変化の意思を表すためであり、その変化には「法=理」に基づく動きを求めるという姿勢が大切だという、金剛禅の精神にあるのです。

 

型に美を求めるのではなく、形の中に法理を求めることこそ、少林寺拳法を主行とした法のまにまに(称)行ずる、道理や心理と合致して、矛盾や差別無く、自らが法を実感して悟る称法行となっているのです。

「動中の功は、静中の功に百千倍する」

    禅三祖 僧粲大師 が言われたことばです。

金剛禅では、少林寺拳法をスポーツとしてではなく、易筋行として取り組んでいるのです。

 

少林寺拳法を学んでいくと、自分にその場に応じた対応力が付いてきたと感じるようになってきます。

 

自分をひ弱だと感じ自信を持ちたい方は、是非、金剛禅の門をくぐってみてください。

年齢や体力に応じた練習で自分の心身を成長させてみませんか。

 

最寄りの道院へ是非、見学、相談にお越しください。歓迎いたします。

 

                道院長 江間秀樹

 

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携帯 090-3835-9109(ショートメールにてご連絡ください)

(いつも質問のメールを頂き、ありがとうございます。是非、最寄りの道院をお探しになり見学してみてください)

 

基本は大切だけど、発想力も大切です

(今日はフェスティバルのアトラクションの練習です)

少林寺拳法を学んでいると「基本」の動きというものを学びますが、とても大切なのはこの基本を「基礎」と置き換えて、これからあなた方が行う目的に対しての基礎体力や基礎知識といった「根底」を支えるモノだと受け取ってほしいのです。

そして、自分の覚えた基本を絶対とは思わず、自分の力や知識を増すことが出来る様に取り組んで行って欲しいのです。

私は怪我をして以来、左手の握力がほとんどありません。計ったら6キロでした。左手のひらを床に付けると激痛が走り受け身の大車輪(側転による受け身)すらできません。でも、こうして、少林寺拳法を続けられています。

七段を受験に行ったときのことですが、障害があることを先に報告しておくと採点用紙に付箋が貼られ障害があることが記され配慮されるのですが、両手が使えないと出来ないことは多いですよね。例えば、大車輪という受け身は両手を床について側転をしてから構えに戻る形ですが、片手が使えないから大車輪が出来ませんでは、試験官は何を採点したらいいのだ「受験しに来るなよ」と思われてしまっても仕方がありません。

でも「同じようには出来ませんが」と伝えたうえで、片手で側転をして受け身をとればどうですか?審査される法形も手を添えているだけで、基本通りの使い方でなくともしっかりと技が掛けられていればどうですか?

私を採点してくださった試験官はそれらを認めたうえで「今日はとても良いものを見ることが出来ました。障害があって本来なら受験すら難しい状況であるのに、それを工夫と訓練、新しい発想で乗り越えて受験している者がいました。他の基本の技術さえどうなのかと思える受験者よりも、数拾段上の研鑽を積まなければ出来ないものを見ることが出来、喜びさえ感じている。」と皆さんの前で仰ってくださったのです。

後に、食堂で昼食をとっているところに話しかけてきてくださり、「口述試験の方はどうだった」と尋ねられたところに、口述の試験を担当してくださった先生も見えてくださり。お互いの試験時の様子を伝えあい、「素晴らしい!素晴らしい!いい経験が出来た!君の試験官が出来て良かったよ」と褒めてくださったのです。

「出来ないから・・・」と諦めてはダメです。柔軟な発想力を育て、出来るためには何が必要かを考えれば、出来ることは幾らでもあるのです。

 

私はこうして少林寺拳法で得た工夫や柔軟な発想を活かして仕事の中にも応用しています。勤務している会社の中で、私の働いている部署では3人の障がい者の人たちが働いていますが、他の部署の障がい者の人よりも、とても良い働きぶりで「優秀工員賞」を貰った者も育てることが出来ました。

そういう力を皆さんにも身に付けて行ってもらいたいのです。

他を否定する頑固さを捨て、自分の力や知識として取り込む力を育てていきましょう。

 

金剛禅の道院では、皆さんを歓迎しています。ぜひ、お気軽にご見学ください。

                   道院長 江間秀樹

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心身を養い自信を持つことから始めませんか

今日は、「礼・目・声・手足」の中の「手足」について

手足の示すものは、身体を使うことによる「行動」と、「表現」の事です。

大人になって様々なことを学ぶと、色々なことが考えられるようになってきます。しかし、体が鍛えられていないと行動するための勇気を持つことが出来ません。

自分の殻に閉じこもり、自分の思うところを自由に工夫して表現しようという勇気が持てないのです。

ただ、約束事に守られようと規則や決まり事に忠実にいられても、その「守られたい」という心が、「護りたい」という他人を思いやることの出来る「勇気」や「行動力」を生み出す力を持つことが出来ないのです。

 

つまり、自分中心の考え方しかできなくなり、他者と強調できる心の広さ、寛容さも生まれず、正義感や慈悲心を生み出すことが出来ないままの自己中心的な自我を形成してしまうことになってしまうのです。

 

「健全な肉体に、健全な精神を宿らせ」てこそ、あなた方に金剛禅の目指す、社会に貢献できるリーダーに育っていただくことが出来る。

自分が、楽をする自我の強い姿勢を捨ててでも、弱いものを助けるという力を養うことが大切なのです。…
「少林寺拳法の拳士は一人残らず正義の勇者であれ」

その言葉に希望を持ち、皆さんにも育っていって欲しい。

協力し合える仲間に育っていって欲しい、だから、私たちは行動で示せる力を鍛えてほしいのです。

 

皆さんには、少林寺拳法の練習を通じて、「号令」をかける機会がありますよね。これはとても大切な訓練なのです。

「号令」込めた気迫の違いやタイミングへの配慮の有無によって、指導力は変わってきます。

身体を鍛えながら、指導力を身に付ける第一歩が「みんなに向かって号令を発すること」なのです。

 

身体を鍛えて自信をつけなさい。

皆を動かす気迫を鍛えなさい。

他者を配慮できる観察力を持ちなさい。

 

金剛禅では、少林寺拳法の修練を通じて、「自信と勇気と行動力を育て、正義感と慈悲心を養成する。」ことに目標をおいて、指導しています。

是非、見学にいらしてください、歓迎いたします。

心や体の弱い方には自信を、強い方には正義感や慈悲心を養っていただくのが金剛禅の道院です。

まず、ご相談にお寄りください。

 

                   道院長  江間秀樹

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今日は、「礼・目・声・手足」の中の「声」について

声というのは他人と会話する、あなたの意思を伝えるというとても大切な力を持っています。

「少林寺拳法」は何故、金剛禅で主行になっているかを考えてみてください。

開祖は私たちに「どうか『突け、蹴れ、お前は足が三寸高くなった、えらいやっちゃ』なんて、そんなくだらない指導者になるな。」と言いながら、少林寺拳法を学ばせていました。私たちが指導者として、後進を指導するときにミットを持ち合って「はい蹴り合いなさい」と指示を出すだけでは何の成長も得ることは出来ません。

「ここはこうしてこっちから蹴ってみてくれんか・・・おお良いぞ、今度はこちらからこういう蹴りをしてみな・・・こう蹴るのと、こう蹴るのでどちらが受けづらいと思う。・・・こう蹴る方だと思います。・・・そうだね、よくわかったね良いよその通りだ。」

こういう会話が練習の中で出来ると君たちは、すごく分かりやすく覚えることが出来ますよね。

自信も付きます。

これは声をかけることで他者を導き、力を伸ばさせる力をあなた方が身に付けるという訓練になっているのです。

指導力を身に付けるという訓練です。

自分が教えるものを研究できていなければ、何も教える内容が持てないのです、だから自分の追及も怠らない。先に進むから教えることが出来るのです。

先輩は後輩を出来る様にして褒めなさい。褒められるように出来たらその自分を誇りに思いなさい。それが自分を成長させる大きなカテになっていくのです。

言葉が足りんでは修養にはなりません。

言葉を正しく使い導くことを「正語」と言います。

 

私が働いている会社には知的障害を持った社員がいっぱい働いています。見学に来る人がとても多いのですが、皆さんが「本当にこの人たちが障がい者なのですか!!」と驚かれる。

ただ、「これをやって働いてください」では理解できない人たちがしっかりと働いているからどうやって指導すればこう出来る様になるのかと驚かれ、話題になるのです。

私は金剛禅の修養で得た指導力という力を使ったからこういうことが出来るようになったのです。

(浜松市のホームページです、実践例として、ぜひご覧になってください。)

https://www.city.hamamatsu.shizuoka.jp/syoghuku/welfare/obstacle/syurousien/hyosyo/01a.html

こういう力を持ち、社会の中で使えるようになってください。

あなたは周りの人たちから必ず必要な人だと認識されるようになります。

「もっと立派な社会人として役に立つような指導者を少林寺拳法は育てたい。」それが開祖の遺志であり、私たちの目指すところなのです。

ぜひ、皆さんも少林寺拳法を学んでみませんか。金剛禅の道院では皆さんをお待ちしています。最寄りの道院のご案内をホームページから探すことが出来ます。

是非、見学や相談にいらしてください。歓迎いたします。

                    道院長 江間秀樹

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