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Shorinji Kempo

季節は秋、緊急事態宣言も解け

さあ皆さん少林寺拳法を始めるのにはとても良い季節の到来です。

何か、新しいことにチャレンジするのには勇気がいりますね、昨日までの緊急時邸宣言の中、私たち金剛禅の指導者もzoomの活用やホームページの立ち上げと様々な取り組みを始めました。年齢もありますが、新しいことに疎く、これまで通りに真面目に取り組んでさえいればどうにかなるだろうという考えが、今回はまったく通じず、新型コロナは私たちのコミュニケーションの機会を破壊しました。

今後もコロナウイルスの蔓延による集会が禁止される事態が起こる可能性は大きいということを考え、取り組まなければなりません。

今日は「少林寺拳法を学んでいたから出来た」という事例が昨日あったので、ご紹介致します。

私が勤めている会社での出来事です。

一緒に働いている年配の女性、Mさんが「忙しい中、悪いんだけど明日、病院に行ってから出社するよ・・・。」と言ってきたのです。

「どうしたの?どこが痛いの?」と聞くと

「手首がすごく痛いんだよ、力仕事をしていて痛めたみたいなのさ。」

というので見せてもらいました。

「あ!これね手首の関節がずれているんだよ。チョッとした運動で治ると思うからやってみていいかい?」と聞くと

「見てくれるのかい。運動で治るかね。」

「関節を維持する力の衰えでずれやすくなっているのが原因で痛めたようだから大丈夫だよ。」

関節を運動させながら痛みの走り方を聞きながら「整骨」の操法を行うと

「あれ!不思議だね。ズキズキしていた痛みが無くなったよ。」とMさんに笑顔が戻ったのです。

(手首の関節が正常な位置に戻るように補助しながら戻したのです。世間でいう整骨術です。)

少林寺拳法では突いたり蹴ったりする技を「剛法」。逆をとったり投げたり、固めたりする技を「柔法」。崩れた体調を整える技を「整法」と呼んで学んでいるのです。

私は中学生だったころから体調を崩していたのですが、高校時代に少林寺拳法を習い始め、先生から整法をしてもらい、体調を戻したことに魅力を強く感じ、現在まで続けられる切っ掛けになったのです。以来、勉強しまくり得意中の得意になったのです。

Mさんが昨日、「あんたすごいね!今日は何にも痛くないよ。主人に話したら、そりゃあ何か技術を持っている人だろ。」といわれたそうです。

私が「少林寺拳法の技なんだよ」と答えると驚いていました。こんなことも出来る様になっていくのです。とても興味深くありませんか。

 

さあ、一緒に少林寺拳法を身に付けてみませんか、スポーツとしてやり始めるもよし、生活をよくするための手段として学ぶもよし。いろいろな要望に応えながら一緒に学べるのが金剛禅の道院です。ぜひ、見学や相談にいらしてください。

 

                    道院長 江間秀樹

  連絡先 090-3835-9109

  Mail  hideki362018772@gmail.com

       (ホームページへのご質問、いつもありがとうございます)

 

 

この子は庇われて当たり前という考え方では・・・

「障がい者の就労について教えてください・・・。」へのお応えです。

「自分の都合の良い様に、自分は楽なように、自分は庇われて当たり前」等々の利己的考え方を持って、その欲求が抑えられないと、集団の中では浮き出し自分の居場所は失われてしまいます。

自分を特別だと考えるお子さんに、その根拠が何処にあり、他者からも正当に評価されるものなのか冷静に考えさせてみることです。

他人にとってはあなたこそが他人。あなたのために負担を負ういわれはないわけです。

あなたなら、一緒に精一杯働こうとせずに、負担を増やす他人に力を貸しますか?

「バカバカしい。そんなの貸すわけがないだろ。」と答えるでしょう。

それが、他人との協調性も持たず、努力もしないあなたに対する周囲からの評価だと気が付かせることです。「あなたの周囲で働く人にとってあなたが特別だという正当に認められる理由がない。」ことを教えなければなりません。

仲間や同僚として、力がなくても真面目に頑張ろうという姿勢があるから、自分に負担があっても、力を貸しあうことが出来るのです。

「障害があるから庇われて当たり前・・・。」

と考える福祉や家族の考え方こそが、現実に目を向けていない勉強不足なのです。

先ず、冷静になって考えてみてください。

障がい者の周囲で同じ仕事をしている人達に、高給取りがいると思いますか?

普通のパート代ぐらいしか貰っていない人や最低賃金で働いている研修生がほとんどなのが現実です。

お母さんなら低賃金でも、しっかりと面倒を見ながら自分に与えられた仕事もこなし、頑張れますか?・・・無理ですよね。それが、普通の考え方であって当たり前の事なのです。

 

合理的配慮というのは、会社が考えることであって、隣で働く人に求めるものではないのです。会社にしても働きやすい配慮を求められるだけで努力してくださいという程度の事なのです。

だからこそ、ある程度の訓練がなされ、努力することを覚えていない者に、就労を維持していく事は出来ないのです。

周囲が面倒を見すぎる環境に染まってしまうと庇われて当たり前と思い込んでしまいますが、それは、理想論であって何の対価も保証しない押し付けでしかないことを福祉も知り、正当な対策を勉強しなければならないのです。

障害があっても働こう、頑張ろうという気持ちがある人が企業就労を目指せるのです。負担の受け入れというスタンスでは、周りで働くパートさんたちがどんどん辞めてしまい仕事も回らなくなってしまうのが現実です。

企業への就職を目指したいというのであれば、一度、あしたか訓練校を見学に行ってみることです。取り組んで行くべき方向性が理解できるようになると思います。

そして、ご家庭でも教育を維持して行くことが出来なければ、就労は維持できません。

是非、金剛禅を学んでみませんか、少林寺拳法はとても良い教育と訓練になると思います。

 

                     道院長  江間秀樹

凡を非凡へと磨く術があります

今日は質問へのお応え 5回目

『 ⑤数をかけ経験知・判断力を養う(経験したことを記憶する訓練)

 

「理解すること」と「出来ること」とは違います。理解不足・不慣れでは仕事に「滑らかさ」が出せません。経験を積み重ね洗練された動きの獲得、「そのタイミングでそれを行う」という訓練が重要です。       』

この部分に対するご質問ですね

「同じことをやろうとすると、飽きて集中できなくなってくるので、なかなか、上達は難しいのです。」というご意見だったと感じました。

 

これに対するお応えは「目標の持たせ方を工夫すること」だと思います。

「こうなるためにはこれが必要なんです。こうしなさい。」という指導の仕方すると、一見、目的を説いているように見えているのですが、この方法では目的自体に自分の意思が生まれず理解できていない場合が多く生じます。集中力や熱意を持った行動を生み出すことは難しいでしょう。

 

私はよく質問をするのです。「君はこうなりたい。それとも、こうなりたい。どちらが良いと感じますか?」という質問です。価値観を高く持てるように誘導していく事で「目的にに向けた努力」を引き出すのです。そこで「こういう手段があるのだけどやってみるかい?」と促し、次にちょっと先生の手を見ていてごらん。今からグーとチョキとパーを出すからね。

「グー、チョキ、パー」「グー、チョキ、パー」「グー、チョキ、パー」「グー、チョキ、パー」「グー、チョキ、」

みんな、次に先生が出すのは何かな?

生徒たちはみんな大きな声で「パー」と答えてくれました。

『みんな同じ事を繰り返していると、次がどうなるのか分かるようになることが多いだろ、それに、迷うことが無くなり、早くできるようにもなるよね、さっき動画で見た、お兄さんの仕事はとても速かったよね、こうやって出来るようになったんだよ。あんなにしっかり働いてくれる人が仲間にいたら君なら「助かるな」と思わないかい、「邪魔だ」と思うかな?』

「それが、戦力になって支えあうということなんだよ」と教えたのです。子供たちは目を輝かせながら、その後のお話にも集中してくれていました。

 

金剛禅では、「やりなさい」という苦行ではなく、目的意識を引き出す、養行を練習形態としています。「修行」とは言わずに「修養」と呼んでいるのもその姿勢から生まれた言葉です。釈迦の教えにもあるように、張り詰めすぎた弦は切れるが、少し緩んだ弦は良い音を出すという取り組み方なのです。

どなたでも安心して始めることが出来ます。少林寺拳法を始めてみませんか。

最寄りの道院に見学にお越しください。

                                                                 道院長 江間秀樹

mail hideki362018772@gmair.com

 

 

 

 

 

学んだこと、鍛えた力を発展させ維持していく理の力

『 ④理解する努力(間違いや、無駄をしない訓練)

 基本をしっかりと身につけると、自分のやっていることが本当に理解出来るようになってきます。  』                            

 

少林寺拳法を習い始めると学ぶときに、「上手な人をみて真似、やり方を聞いてみましょう。」という指示がなされます。どの道院でも丁寧な指導を心掛けていますが、指導者たちに共通して備わっているのは、観察する力です。高段者になるほど無駄や斑が省かれ、理に基づいた動きを体得するようになってくるからです。

 

仕事でも同じことが言えます。一日八時間労働として、それをまともに働きぬける体力とは結構、障がい者にとって高いハードルとなるでしょう。しかし、知的障害者に与えられる仕事には、座りながら行える職種などは、そうあるものではありません。体力を補う工夫が必要なのです。

 

あしたか訓練校では、これを身に付けさせるために。四角い鋼材を切り出し、万力に挟んで鉄やすりで球体に磨き上げるという訓練で、作業に強い姿勢を身に付けさせています。

こうした、訓練は就労を維持していく上でとても大切なことなのですが、特別支援学校を見学しても皆無でした。

 

労働基準法では、重さ10kg高さ1m以上の作業について、軽減できる工夫を企業に求めていますが、逆に言えば、これに耐えられ対応できる体力を持ちなさいということでもあるのです。

 

心と体の両面から正しい姿勢を身に付けながら、体力を身に付けられるのが少林寺拳法の特徴でもあります。

少林寺拳法は、最寄りの金剛禅の道院で「修行の一環」として指導されていますので、心と体の成長を求めて始められてはいかがでしょうか。どの道院でも随時、体験入門を行なってもらえますので、親子でご相談ください。

 

私からのアドバイスとして、学んだこと、鍛えた力を発展させ維持していく力は、家庭に根源がなければなりません。親御さんの正しい支えが重要なのです。ぜひ、ご相談や見学にいらしてください。

基本がしっかりとしていてこそ、理想を現実にかえることが出来る

『 ③基本動作や約束の確立

約束を守らせ、怠らせない。「約束を覚えられるか」ではなく、「維持ができるのか」が最大のポイントとなります。  』

今日は「約束を守り続けることは就労する中ではそんなに難しくなってしまうのですか?」というご質問へのお応えです。

 

少林寺拳法を学び始めたころに、基本をしっかりと身に付けないと、高い技術は身に付けられないぞと学び、格好の良い派手な技術よりも一つ一つの突きや蹴りの技術を磨けと習ったものです。

そんな私が武専(指導者養成機関)の教員として、各地へ指導に行きながら主に伝えているのは、攻撃よりも防御である受けの技術だったりしています。

少林寺拳法は主守攻従(守ることが主で、攻撃は完全な防御の後という教え)の技術ですから、守ることがしっかりできていてこそ、より深い技術が身に付けられるというのが、私の自論です。

なんの防具も付けていない自分のおなかに思いっきり蹴り込みをしてもらい、それを、姿勢による人体の強化で跳ね返したり、布切れのように緊張を無くし吸収したりして、物事に対する陰陽両面の取り組み方をみせ、自分の身に付けた技術を「信じる」という胆力に変えていく事を説き、その力で人前に立ち、人を説得できる力を身に付けなさいと説いています。

 

さて、先日の笠井中学校の授業で話した基本の大切さについてですが、知的障害を持った部下たちを育てるのに、一番に注意していなければならないのが、約束を守らせ、それを、維持し続けられるように見守り続けることにあるのです。

聖隷クリストファー大学からの依頼で「障がい者の就労維持」について共同研究した際に、見えてきたのは、約束事を覚えてもそれが適切な指導と管理がなされず、放置されると「粗雑化・簡略化・省略化」が起き、求められている行動が取れなくなり、その行動が定着してしまうまでに放置されると、修正が出来なくなってしまうのです。こうなると作業で機械を使っているような場合、故障だらけで作業にならなくなってしまい、品質や生産量ばかりか作業の安全性さえ確保できなくなってしまうのです。

皆さんが何かを習い始め、しばらくすると、行動が滑らかになり、上達し始めるのですが、知的障害を持った人たちには、この部分を周囲がしっかりと見守り、適切な上達をコントロールしないと、行動に対する無駄の省き方のさじ加減が理解できずに、出来ていたはず、教えてあったはずの仕事が出来なくなってしまうのです。

だから、学校教育で必要なのは「約束を守る大切さを教え、その姿勢を守って行動していく」ということを教えなければならないのです。

・能率的順序を徹底的におぼえる

・確認動作を行ないつづける

・基本的な自分の担当範囲をおぼえる

・動作で余裕が作れるように訓練

・他との互助をおぼえる

この様なことをしっかりと教え込んでいく事で戦力として育てているのです。

訓練教育では、こうした姿勢を学んで社会に出ますが、通信制の普通教育や養育・福祉的教育では学ぶことなく就労を目指すことになります。そんな状況ですから、約束は二週間も維持されず、自分勝手な行動が目立つようになり崩れてしまうのです。

二週間も実習を続けていると家庭や学校、福祉は負担として認め受け入れてほしいと考えるのですが、企業では二週間も教えているのだからもう覚えて仕事が出来るようでなければ受け入れられないということになってしまうのです。

中学校で学んでいることを、維持し続けられる力が家庭になければ維持していく事はとても難しいことなのです。

金剛禅の道院はそのお手伝いが出来ると思います。最寄りの道院を探して相談してみてください。

『最小限の動きで、最大限の成果を引き出す』理を生み出す

質問へのお答え (その2)

『障がい者にも生産性を求めるのですか?』

 

少林寺拳法を学ぶと最小限の力で、最大限の成果を引き出すことを学びます。老人でも女性や子供でも相手を効果的に倒す技術、それが「当身の五要素」です。

障がい者スタッフにしっかりとした成果を出してもらい、雇用を守っていくためには、周囲の負担にならない「戦力としての力」が重要になってきます。

それには、生産性を高めた手順を生み出し、動きを維持し、洗練させるための工夫が必要です。ユニバーサルデザイン化もその一つですが、工夫だけでは「安全性・品質・生産性」の三条件を満たし、維持していく事は出来ません。少林寺拳法の当身の五要素のように、絶大な効果が必要なのです。その工夫を身に付けるために必要な条件として、手順を維持できる姿勢が身についていなければなりません。

 

『   ②手順をまもる

          約束を守れない方の指導は困難であり「安全性・生産性・品質」が保てず、必要とされません。』

 

とは、障害を持っていても戦力として「安全性・品質・生産性」を高く保つことが出来なければ、生産の現場では何もさせることは出来ないということです。企業にはPL法(製造物責任法)、各法律への対応が求められるからです。

しかし、働きやすく、理解しやすいい環境(ユニバーサルデザイン)と教育を工夫することで、戦力として育成していく事は可能なのです。

これが出来きる企業では、法定雇用率を超えて障がい者雇用を伸ばしていく事が出来るのです。

 

「手順を守る」ことは、それを可能にするために必要な絶対条件です。障がい者にとって、学校教育期間中に身に付け、卒業後は家庭で維持していなければならない重要な事項なのです。

 

しかし、訓練教育以外では、なかなか、この教育は難しく、未成熟なままの企業への丸投げは、障がい者雇用を困難なものにしてしまっているのです。学校教育で身に付けたことを、本人や家庭に生涯かかわっていける中で指導を受け続けられる、環境が必要なのです。

金剛禅の道院で、親子で少林寺拳法を学ぶことも選択の一つとして考慮されてはいかがでしょうか

「~してもらうのではなく、自分で~をする」姿勢が自立の一歩です

今日は、「浜松市立笠井中学校で授業をしてきました」の記事をご覧になった方から、質問のメールをいただきましたのでお答えいたします。

『 ➀目標や価値観を持った努力

目的意識や正しく周囲からも認められる価値観の持ち、

良い仕事を多くできるようにする。』

 

今日はこの部分への質問からお答えします。障害を持ったお子さんが、何かをする時にマイペースで出来るのを待ち、出来なければ手伝って完成させれば良いのでは、障害があるのだから周囲が気を付け配慮するのが当たり前なのでは・・・。というご意見のようですが、「企業への就労を目指すのには・・・。」というお話を求められた上での講義だとご理解いただければよろしいかと思います。

企業は福祉ではありませんから、収益を出さなければ雇用は維持されません。障がい者の就労においても、重要な条件は「安全性・品質性・生産性」の確保であり、PL法(製造物責任法)等の各法律への遵守は同等に求められるのです。

約束事を守り続けることでこれらを実現出来るようにしていくのが、「合理的配慮」であって、企業へは障がい者が安心して、仕事をすることが出来る環境を作り出すことが求められていますが、それは、採算を度外視して遊ばせていればよいという話ではありません。

このことを特別支援学校では、しっかりと理解し、周囲がしてあげる教育をかえなければ、知的障害者の方には、条件の良い就労のチャンスは生まれてこないでしょう。

例え運よく就職できても、それを維持していく事は非常に困難なことなのです。だから、あしたか訓練校のような「訓練教育」へ進路したものと、特別支援学校での「養育」しか受けていないものでは大きな差が生まれているのです。

しかし、訓練校に行ける者はほんの一握りです。だから、これを乗り越えてチャンスを得ていくために必要なのが、お話で取り上げた8つの項目なのです。これを、わかりやすく言えば、

➀目標を常に持ち②順序を守り③基本的な約束を守り続け④仕事を理解し⑤判断力を向上させ⑥総合力を向上させ⑦体力を補う姿勢を身に付け⑧改善活動と確認を怠らないということになるのです。

これは、私が障がい者雇用で採用された社員を、教育するために、金剛禅の「修行の心得」を応用して用いたものです。

当日の授業では、育てた社員の働いている姿を動画で見せ、「自立」に必要な取り組み方として説明させていただきました。

「障がい者だから・・・。」と思って見始めた生徒や先生方の動画への感想は「全く障がい者に見えなかった・・・プロ!!」と驚いていました。

生徒さんたちや先生方も、甘くない現実を知り、生徒からは、「普段先生たちから教えられていることの大切さが分かった。」、そして、先生方からは「教えていることの真の意義が分かりました。」との感想が聞かれました。

 

「どうすれば授業に呼ぶことができますか?」という質問については

この授業は、静岡労働局の障害者就労アドバイザーとして中学校より呼ばれました。知的障害者への担当は大井川以西、発達障害者へは全県下の担当となっています。静岡労働局の職業対策課への申し込みとなります。また、個別での相談は日曜日の練習時に湖東町の礼拝施設で対応させていただきますので連絡してからお越しください。

道院長 江間 090-3835-9109 mail hideki362018772@gmail.com

 

 

 

zoomを使えるようにしてください

皆さん、この新型コロナウイルス感染者蔓延による、非常事態宣言の期間中を、どのようにお過ごしでしょうか。

世の中の変化に対応して、少林寺拳法ではzoomを利用して講習を開催するなど拳士間のコミュニケーションが途絶えないようにしていこうという対応を始めています。

静岡県でも会議や小教区本山認定研修会などで使用して、使い方に馴れようと努力している次第です。

小教区の認定研修会には僧階をお持ち出ない方も参加し勉強していただけますので、是非、参加できるように準備してください。

 

とても分かりやすかったYouTubeの動画です。ご覧になってからダウンロードを始めてみてください

 

【たった7分で分でわかる】いまさら聞けない!Zoomの使い方

https://www.youtube.com/watch?v=C0feLLIJISQ

 

ダウンロード先

https://zoom-support.nissho-ele.co.jp/hc/ja/articles/360022036391-%E3%82%A2%E3%83%97%E3%83%AA%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%AB%E6%96%B9%E6%B3%95-PC%E7%89%88-

 

浜松市立 笠井中学校で授業をしてきました

9月15日(13:20~14:30)の日程で浜松市立笠井中学校の発達支援組に通う、1~3年生と先生方合わせて40名ほどの皆さんに「将来、就職して自立するためには、今、どのような取り組み方をすれば良いのか」というテーマを頂き、静岡労働局を通した依頼で、授業を行なってきました。

 

授業では「自立を目指して働く力を身に付けよう 八つの取り組み」というお話をしました。

 

以下は内容です

➀目標や価値観を持った努力

目的意識や正しく周囲からも認められる価値観の持ち、良い仕事を多くできるようにする。

②手順をまもる

約束を守れない方の指導は困難であり「安全性・生産性・品質」が保てず、必要とされません。

③基本動作や約束の確立

約束を守らせ、怠らせない。「約束を覚えられるか」ではなく、「維持ができるのか」が最大のポイントとなります。

④理解する努力(間違いや、無駄をしない訓練)

基本をしっかりと身につけると自分のやっていることが本当に理解出来るようになります。

⑤数をかけ経験知・判断力を養う(経験したことを記憶する訓練)

「理解すること」と「出来ること」とは違います。理解不足・不慣れでは仕事に「滑らかさ」が出せません。経験を積み重ね洗練された動きの獲得、「そのタイミングでそれを行う」という訓練が重要です。

⑥片寄らない力をもつ

総合力と質の向上を図り、協調性の育成をすると他人から求められる人材になれます。

⑦体調の自己管理(安定した戦力としての最低条件)

仕事に支障を出さない社会人の基本として、正しい姿勢を身に付け、安定した戦力としての自覚を持つことが自分を護ることになります。

⑧基本を礎に進化(マンネリ化しない取り組み方)

常に「計画・実行・評価・改善」の繰り返し出来ることを増やして行く、能力を磨いていきましょう。

 

という八つの心得を子供たちに解りやすい様に、普段、私と一緒に働いている障がい者の動画を見せ、どんな訓練をすると出来るようになるのかを教えました。

動画や訓練の仕方、そして、挨拶がいい加減な子供たちには、「おはようございます」と言わせたときにそっぽを向き気が付かないふりをして応えず、「江間さん、おはようございます!!」と名前を付けて挨拶してごらんと教え。名前を付けることによって相手に意識させ、支援力を引き出す、挨拶の必要性を生徒たちとのやり取りでしてみせるなどの工夫をして授業をしました。

先生たちは、生徒たちがこんなに長い時間の講義に集中できていたと驚いていました。私が以前に講習会で先生方にしたアドバイスを実践されていたそうですが、なかなか生徒には伝わらなかったようで、その場で注意するのとは違い、動画で観て感じたうえで訓練してみるという今回の授業はとても勉強になったとのことです。生徒たちも大切なところはパワーポイントを写し書きながらメモを取り集中して勉強できていました。皆さん話が理解できたようで笑顔で喜んでくれていました。

 

皆さんは気が付きましたよね。

これは、金剛禅の「修行の心得」をもとにした内容です。

単なる学科として覚えるのではなく、教えの本当の意味を理解して、それを、世の中をよくしていくために伝えていく事が大切な布教なのですよ。少林寺拳法を修行して身に付ける行動力と併せて、他人をも支えられる知識を身に付けるように勉強してください。それが、金剛禅の目指す「拳禅一如」の姿勢です。

 

今日のテーマはD5の勉強です

今日は、テーマ番号D-5の『社会と少林寺拳法における「織物的人間関係」の在り方とその意義』という1月23日に行なう、次の県教区本山認定研修会での講義内容を考えています。武専の派遣も12月には茨城の担当がありますし、労働局からの依頼の講演や小教区の認定研修会やらと立て続けに予定が続いているので、常に並行して思いついたことを書き留めるのが私の勉強スタイルです。

このタイトルを通して皆さんに学んでいただきたいことを伝えるのにと、頭に浮かんできたのが、このお話です。

 

筋萎縮性側索硬化症(きんいしゅくせいそくさくこうかしょう、略称: ALS)になってしまった拳士仲間を当時の少林寺の機関誌で取り上げてもらったが、励ましや、応援の手紙も来なかったと道院長講習会に参加した際に新潟の先生から聞かされ、機関誌の記事にあまり熱心に目を通していなかったことを恥じながら、手紙を書いたことを思い出します。

お礼の返信とともに送られてきたのは、一枚の署名用紙でした。当時、ALSの患者さんは深夜、就寝時に溜まる痰の除去は看護師か家族が行うしかなかったのですが、自宅で療養する場合、家族の負担が非常に大きく、これをヘルパーにも行うことを認めてほしいという内容の署名だったのです。

「この一枚を埋めて返すだけでいいのか!!」

そう思った、私たちは何人かで街頭に立ち署名を集め、道院では拳士や家族の皆さんにお願いし、周囲の自治会、学校や職場、様々な協力を経てとてつもない署名を集めて段ボールに入れて何箱も送ったのです。送った拳士から署名活動をしていた日本ALS協会に送られ、それまで不調だった署名活動に、とてつもない署名が他の団体の皆さんの力で集められ送られてきましたと、大喜びでホームページに署名の山を映した画像入りで、お礼の言葉が掲載されていました。そして、法案はつくられたのです。

武専の教員として初めて新潟に派遣された際、冒頭の挨拶でその時のお話をしました。それまでは、どこから来た先生だろう?と初めて見る私に、よそよそしい感じだったのが、講師紹介を終えると皆さんが寄ってきて、「あの時の先生だったんですね!!こんなうれしいことはない!!」と大騒ぎになってしまったのです。講義の中で、普段、私たちの行っている献血推進活動のお話をしたのですが、二度目に講師として伺った際に、皆さんからグループになって献血に定期的に行くようにしているという話を聞かせてくれたのです。とてもうれしい気持ちで一杯になりながら、その日も楽しい武専になりました。

私たちの自他共楽の精神は「ともに少林寺拳法を楽しむ」というだけのものではないのです。

自分の感じたことを周囲に伝える人がいたからこそ、気が付き反省し、それに応える者が生まれる、何に困っているのかを伝えたからこそ、その思いを共有し、何とかしようと努力が始まる。思いは広がり多くの賛同を集め、支える力を作り出す。私たちは理想境の建設に邁進すと唱えているように、そのために必要なのは常に時事に関心を持ち、問題意識を持ち、有志となって社会を支えることに鍛えた力を使える人間にならなければならないのです、開祖は

「愛だけでは世の中は決してよくなりません、自分を捨ててでも正しいものを助けるという力を養うことが大切なのです。…
少林寺拳法の拳士は一人残らず正義の勇者であれ!! 」

             1972年鏡開き式 より

と我々に説かれていました。

常に、その精神をもって、周囲に協力し合える力の輪を広げていきましょう。