法話
Shorinji Kempo

会話の大切さというのを考えたことがありますか?

コロナ過で自由に会話が出来ないこともありますし、マスクを着けていて話しづらいという事もあり、他人と意思を通じ合う機会がとても減ってしまっていますね。

私の勤める職場には、知的障害だけではなく、場面緘黙の症状のある社員がいます。

場面緘黙とは

・上司や同僚の質問に対して返事ができない

・休憩中に雑談をしたくてもできない

・言いたいことがあるのに発言できない

・指示が分からなかったのに聞き返す事ができない

・初めての状況だと身体が思うように動かない

・注目されると簡単な作業でも身体が固まってしまう

こうした症状がある方でも、私から常に話しかけるようにしていたら、緊張することもなく、普通に話が出来るようになり、会話の出来る相手もだんだんに増えてきています。

「普通には話せない」という事を周囲が理解したうえで、表情を返事だと受け取りながら会話しないと、「なんで、返事もしないの」ということになってしまい、働ける環境ではなくなってしまいます。

 

また、聴覚障害の方もいるのですが、彼女は私の口の動きを読んで話を理解しますので、マスクをしていると会話ではなく、しっかりと筆談しないと理解できませんし、目の前に立たないと、私が近くにいることすら気が付かないのです。用があるときには肩に触れて伝えたいことがあると合図したうえで、筆談か手話で確認するしかありません、呼び止めるという事が出来ないという事を理解したうえで、お話ししなければコミュニケーションはとれないのです。

 

今回のお話しで皆さんに知ってもらいたいのは、皆さんには「出来て当たり前だろ、出来ない方がおかしいのだ。」という無知による態度をあなたも改めて、他人に対する観察力と配慮に気が付く優しさと、補うことの出来る知恵を持ってほしいということです。

 

「当たり前」と考えるのはあなたの尺度でしかない。自己中心的な態度でしかないのだということを自覚すれば、他者への観察力を働き、配慮も考えられるようになって行くのです。

当たり前という考え方をやめて、どうしたら理解しやすい環境を作り出すことが出来るのかを考えて行きましょう。

そうした意識と工夫が「安心」できる環境を作り出していくことになるのです。

 

金剛禅は単に少林寺拳法を学ぶという場ではありません。周囲に目を向ける意識を育て、助け合える仲間を作り、良い世の中にしていこうという目的を持ち、集う場なのです。

皆さんも是非、この「幸福運動」に参加してください。

           

           道院長 江間秀樹

Mail hideki362018772@gmail.com

携帯 090-3835-9109(ショートメールにてご連絡ください)

皆さんからの質問をお待ちしています。

和顔愛語を取り戻してみましょう

(笑顔と優しさを取り戻してみませんか)

今日はお子さんの教育で悩んでいるシングルマザーからの相談メールを頂きましたので、お応えしていきます。

「子供には知的障害があり、一人で育てています。心配でつい叱りすぎてしまうのを自覚しています。どうしていけばいいのか・・・(略)。」という内容です。

 

知的障害のお子さんですから、言葉の遅れもとても心配になりますよね。最初は「ママ」とか「まんま」など単語しか使えない時期がながく続いていたと思います。

先ず、将来のことを考えて、母子手帳の記載と定期健診は必ず受けて、チェック事項は必ず埋めるようにしておいてください。将来、お子さんが障害基礎年金の受給審査に必ず、必要になります。精神科への定期的な検診も必ず行っておくことです。先ず、相談支援事業所が区役所にありますので、区役所へ行き相談して計画を立てましょう。無料の支援ですので必ず行ってください。

先ず、あなたの抱えている経済的な心配を、「社会保障」を受けることで軽減することが大切です。社会福祉課があなたの状況にあったアドバイスをしてくれますので安心して相談してください。あなたの不安が大きすぎると、お子さんには良い教育は出来ません。

一人で育てているということで、周りとのコミュニケーションを失っているようですね、よくこのホームページを見つけてメールしてくださいました。

もうあなたは一人ではありません。わたしが相談相手です。

相談できる人が出来たのだから心配し過ぎて叱りすぎるのは止めましょう。

これからは「笑顔」でお子さんに接し、「良い言葉」で諭していくのです。

これまでは自分の不安を「親の気持ち」と言って子供にぶつけてしまっていただけかもしれませんね。子供にしてみれば叱られた「怖い」という感情しか持てていなかったから、何をどうしたらいいのかが分からないままだったと思います。

あなたに先ず身に付けて頂きたいのは「笑顔」です。

お子さんは鬼のように怖い顔で怒るあなたと、笑顔で優しく教えてくれるお母さんと、どちらのお母さんが好きでしょうか?

当然、明るい笑顔でやさしく教えてくれるお母さんです。

でも、どうしたら出来るのか?わかりませんよね。

そこで、やってもらいたいのが絵本の読み聞かせです。

とても良い親子関係を取り戻すことが出来ますのでやってみてください。

「和顔愛語」の姿勢が大切です。

怒るこころを無くし、心配するのをやめ、感謝の心を持って、なすべきことを成して行きましょう。他人への親切を心掛ければあなたにも明るい心が戻ります。

 

金剛禅の道院は少林寺拳法を学ぶだけのスポーツ教室ではありません。私たちは「魂の教師であれ」と学んできました。ぜひ、これからもご相談してください。

           道院長 江間秀樹

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自信を持つのには対応力が必要さ

今日は、障害を持つお子さんのお母さんから「少林寺拳法はスポーツや武道とどう違うのですか」という質問をいただきましたのでお応えしていきます。

 

「出来ない」と思うとずっと出来ないままになってしまったり自信が持てなかったりで、進まないことがあります。そのままにしてはいけません。

 

練習しているのは大車輪という側転を使った受け身なのですが、子供たちには体の重みを支える腕力が足りないので出来ない場合が多いのです。

この画像のように台を使って肘で身体を支えるようにさせると出来たりします。

床で出来ていた者には新しいチャレンジとして取り組んでみるのもいい刺激になります。

私は、出来ないことをそのままにするのではなく、「何が足りないのかを考えて、工夫する楽しさ」を持ってもらいたいのです。

 

少林寺拳法の技は、「法形」と呼ばれているのですが、「型」とはせずに「形」という字を当てているのは、がちがちにはめ込んだものではなく、状況に応じて変化の意思を表すためであり、その変化には「法=理」に基づく動きを求めるという姿勢が大切だという、金剛禅の精神にあるのです。

 

型に美を求めるのではなく、形の中に法理を求めることこそ、少林寺拳法を主行とした法のまにまに(称)行ずる、道理や心理と合致して、矛盾や差別無く、自らが法を実感して悟る称法行となっているのです。

「動中の功は、静中の功に百千倍する」

    禅三祖 僧粲大師 が言われたことばです。

金剛禅では、少林寺拳法をスポーツとしてではなく、易筋行として取り組んでいるのです。

 

少林寺拳法を学んでいくと、自分にその場に応じた対応力が付いてきたと感じるようになってきます。

 

自分をひ弱だと感じ自信を持ちたい方は、是非、金剛禅の門をくぐってみてください。

年齢や体力に応じた練習で自分の心身を成長させてみませんか。

 

最寄りの道院へ是非、見学、相談にお越しください。歓迎いたします。

 

                道院長 江間秀樹

 

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(いつも質問のメールを頂き、ありがとうございます。是非、最寄りの道院をお探しになり見学してみてください)

 

基本は大切だけど、発想力も大切です

(今日はフェスティバルのアトラクションの練習です)

少林寺拳法を学んでいると「基本」の動きというものを学びますが、とても大切なのはこの基本を「基礎」と置き換えて、これからあなた方が行う目的に対しての基礎体力や基礎知識といった「根底」を支えるモノだと受け取ってほしいのです。

そして、自分の覚えた基本を絶対とは思わず、自分の力や知識を増すことが出来る様に取り組んで行って欲しいのです。

私は怪我をして以来、左手の握力がほとんどありません。計ったら6キロでした。左手のひらを床に付けると激痛が走り受け身の大車輪(側転による受け身)すらできません。でも、こうして、少林寺拳法を続けられています。

七段を受験に行ったときのことですが、障害があることを先に報告しておくと採点用紙に付箋が貼られ障害があることが記され配慮されるのですが、両手が使えないと出来ないことは多いですよね。例えば、大車輪という受け身は両手を床について側転をしてから構えに戻る形ですが、片手が使えないから大車輪が出来ませんでは、試験官は何を採点したらいいのだ「受験しに来るなよ」と思われてしまっても仕方がありません。

でも「同じようには出来ませんが」と伝えたうえで、片手で側転をして受け身をとればどうですか?審査される法形も手を添えているだけで、基本通りの使い方でなくともしっかりと技が掛けられていればどうですか?

私を採点してくださった試験官はそれらを認めたうえで「今日はとても良いものを見ることが出来ました。障害があって本来なら受験すら難しい状況であるのに、それを工夫と訓練、新しい発想で乗り越えて受験している者がいました。他の基本の技術さえどうなのかと思える受験者よりも、数拾段上の研鑽を積まなければ出来ないものを見ることが出来、喜びさえ感じている。」と皆さんの前で仰ってくださったのです。

後に、食堂で昼食をとっているところに話しかけてきてくださり、「口述試験の方はどうだった」と尋ねられたところに、口述の試験を担当してくださった先生も見えてくださり。お互いの試験時の様子を伝えあい、「素晴らしい!素晴らしい!いい経験が出来た!君の試験官が出来て良かったよ」と褒めてくださったのです。

「出来ないから・・・」と諦めてはダメです。柔軟な発想力を育て、出来るためには何が必要かを考えれば、出来ることは幾らでもあるのです。

 

私はこうして少林寺拳法で得た工夫や柔軟な発想を活かして仕事の中にも応用しています。勤務している会社の中で、私の働いている部署では3人の障がい者の人たちが働いていますが、他の部署の障がい者の人よりも、とても良い働きぶりで「優秀工員賞」を貰った者も育てることが出来ました。

そういう力を皆さんにも身に付けて行ってもらいたいのです。

他を否定する頑固さを捨て、自分の力や知識として取り込む力を育てていきましょう。

 

金剛禅の道院では、皆さんを歓迎しています。ぜひ、お気軽にご見学ください。

                   道院長 江間秀樹

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心身を養い自信を持つことから始めませんか

今日は、「礼・目・声・手足」の中の「手足」について

手足の示すものは、身体を使うことによる「行動」と、「表現」の事です。

大人になって様々なことを学ぶと、色々なことが考えられるようになってきます。しかし、体が鍛えられていないと行動するための勇気を持つことが出来ません。

自分の殻に閉じこもり、自分の思うところを自由に工夫して表現しようという勇気が持てないのです。

ただ、約束事に守られようと規則や決まり事に忠実にいられても、その「守られたい」という心が、「護りたい」という他人を思いやることの出来る「勇気」や「行動力」を生み出す力を持つことが出来ないのです。

 

つまり、自分中心の考え方しかできなくなり、他者と強調できる心の広さ、寛容さも生まれず、正義感や慈悲心を生み出すことが出来ないままの自己中心的な自我を形成してしまうことになってしまうのです。

 

「健全な肉体に、健全な精神を宿らせ」てこそ、あなた方に金剛禅の目指す、社会に貢献できるリーダーに育っていただくことが出来る。

自分が、楽をする自我の強い姿勢を捨ててでも、弱いものを助けるという力を養うことが大切なのです。…
「少林寺拳法の拳士は一人残らず正義の勇者であれ」

その言葉に希望を持ち、皆さんにも育っていって欲しい。

協力し合える仲間に育っていって欲しい、だから、私たちは行動で示せる力を鍛えてほしいのです。

 

皆さんには、少林寺拳法の練習を通じて、「号令」をかける機会がありますよね。これはとても大切な訓練なのです。

「号令」込めた気迫の違いやタイミングへの配慮の有無によって、指導力は変わってきます。

身体を鍛えながら、指導力を身に付ける第一歩が「みんなに向かって号令を発すること」なのです。

 

身体を鍛えて自信をつけなさい。

皆を動かす気迫を鍛えなさい。

他者を配慮できる観察力を持ちなさい。

 

金剛禅では、少林寺拳法の修練を通じて、「自信と勇気と行動力を育て、正義感と慈悲心を養成する。」ことに目標をおいて、指導しています。

是非、見学にいらしてください、歓迎いたします。

心や体の弱い方には自信を、強い方には正義感や慈悲心を養っていただくのが金剛禅の道院です。

まず、ご相談にお寄りください。

 

                   道院長  江間秀樹

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今日は、「礼・目・声・手足」の中の「声」について

声というのは他人と会話する、あなたの意思を伝えるというとても大切な力を持っています。

「少林寺拳法」は何故、金剛禅で主行になっているかを考えてみてください。

開祖は私たちに「どうか『突け、蹴れ、お前は足が三寸高くなった、えらいやっちゃ』なんて、そんなくだらない指導者になるな。」と言いながら、少林寺拳法を学ばせていました。私たちが指導者として、後進を指導するときにミットを持ち合って「はい蹴り合いなさい」と指示を出すだけでは何の成長も得ることは出来ません。

「ここはこうしてこっちから蹴ってみてくれんか・・・おお良いぞ、今度はこちらからこういう蹴りをしてみな・・・こう蹴るのと、こう蹴るのでどちらが受けづらいと思う。・・・こう蹴る方だと思います。・・・そうだね、よくわかったね良いよその通りだ。」

こういう会話が練習の中で出来ると君たちは、すごく分かりやすく覚えることが出来ますよね。

自信も付きます。

これは声をかけることで他者を導き、力を伸ばさせる力をあなた方が身に付けるという訓練になっているのです。

指導力を身に付けるという訓練です。

自分が教えるものを研究できていなければ、何も教える内容が持てないのです、だから自分の追及も怠らない。先に進むから教えることが出来るのです。

先輩は後輩を出来る様にして褒めなさい。褒められるように出来たらその自分を誇りに思いなさい。それが自分を成長させる大きなカテになっていくのです。

言葉が足りんでは修養にはなりません。

言葉を正しく使い導くことを「正語」と言います。

 

私が働いている会社には知的障害を持った社員がいっぱい働いています。見学に来る人がとても多いのですが、皆さんが「本当にこの人たちが障がい者なのですか!!」と驚かれる。

ただ、「これをやって働いてください」では理解できない人たちがしっかりと働いているからどうやって指導すればこう出来る様になるのかと驚かれ、話題になるのです。

私は金剛禅の修養で得た指導力という力を使ったからこういうことが出来るようになったのです。

(浜松市のホームページです、実践例として、ぜひご覧になってください。)

https://www.city.hamamatsu.shizuoka.jp/syoghuku/welfare/obstacle/syurousien/hyosyo/01a.html

こういう力を持ち、社会の中で使えるようになってください。

あなたは周りの人たちから必ず必要な人だと認識されるようになります。

「もっと立派な社会人として役に立つような指導者を少林寺拳法は育てたい。」それが開祖の遺志であり、私たちの目指すところなのです。

ぜひ、皆さんも少林寺拳法を学んでみませんか。金剛禅の道院では皆さんをお待ちしています。最寄りの道院のご案内をホームページから探すことが出来ます。

是非、見学や相談にいらしてください。歓迎いたします。

                    道院長 江間秀樹

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輝く意欲のうかがえる目を育てる

今日は「目力」のお話しです。

鍛えるポイント「礼・目・声・手足」の二番目、「目」についてです。

 

目は私たちに視覚を与えてくれる体のとても大切な部分ですよね。目があるから見ることが出来ます。

見えることはあなたの能力を向上させるのにとても大きな力となってくれていますよね。

でも、それはあなたが注意深く観ようとしないと、上手に使えているとは言えません。

見えるということは、あなたに対する危険を知ることが出来ますし、他人の行いを観察して自分も同じことが出来る様に努力が出来る様になるではありませんか。

 

せっかく、物を見ることが出来ても、見ようとしない人には危険は大きくなります。

良い例が、道路の横断です。信号機のない交差点で、横断歩道があるからと左右も確認せずに渡ろうとすればとても危険ですよね。法律では信号機の無い所では、歩行者が優先され車は止まらなければならないと決められていますが、守ってくれる人ばかりだは有りませんよね。思い込みで動くから事故は起きるのです。周囲を観ずに「~だろう」と自分に都合よく考えると自制心が無くなりますが、「~かもしれない」と考えると、自分を制御できるようになります。周囲をしっかりと観察出来るようになるからです。

 

少林寺拳法を学ぶときに、師匠や先輩が技をやって見せてくれますが、いくら見ていても出来る様にはなりません。「知りたい・覚えたい」という気持ちがないとダメなのです。

教えてくれる人から見ていると、あなた方がこの気持ちが持てていると、目から受ける表情が輝いて見えるようになるのです。

まず、しっかりと「物事を正しく見る」(正見)という態度を持ちましょう。

 

少林寺拳法を学んでいて先ず、鍛えられるのが観察力です。物を観る力を養い、追及する心を引き出すようになって行くのです。

是非、私たちと一緒に学んでみませんか。

金剛禅の道院では皆さんをいつでもお待ちしています。

 

道院長 江間秀樹

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人間関係を上手く築くには

「礼」というとどんなことを連想しますか、礼儀・作法・マナー

『礼とは、さまざまな行事のなかで規定されている動作や言行、服装や道具などの総称。春秋戦国時代、儒家によって観念的な意味が付与され、人間関係を円滑にすすめ社会秩序を維持するための道徳的な規範をも意味するようになった。』 とウィキペディアには載っていますね。

 

つまり、集団生活するなかで身に付けなければならないコミュニケーションの方法であって、これが出来ないと集団に一員として認識され、集団としての擁護の中に入ることが出来ないと考えた方がいいのです。人間だけではなく他の動物にもみられますので、種を維持して行くために私たちが人類として分かれる以前に身に付けてきた能力と考えた方が良いでしょう。

 

犬や猫、猿などを見ていても集団の中での力関係と併せて、仲間である手段として身に付けていなければならないことを感じ取ることが出来るのではないでしょうか。

つまり、簡単に考えて、軽んじてはいけないものだということです。

 

礼儀を持たない態度に対して、人間としての理性があるから対応してもらえるが、動物として持っている本能的には違和感を与えている、だから、集団にうまく溶け込めない。

 

あなたなら挨拶するときに笑顔で呼びかけられるのと、無視されるのとどちらが良いですか。

あなたが受けていやだと感じることを、あなたは他人に行なうべきではありません。

金剛禅で合掌をするのは、お互いに相手の命を尊び、認め合うことを示しあう作法なのです。

相手を尊重しない人は、相手からも尊重されません。現状を変えたければ、相手に文句を言うのではなく、先ず自分の態度から治すことです。他人を変えることは出来ませんが、自分が変われば、相手との関係も変化します。

先ず、自分を変えてみませんか。

金剛禅は自分の人間性を磨き、自信や勇気、行動力、正義感、慈悲心を身に付け、自分に自信をもって生きて行けるように学ぶ場です。

自分の現状に悩みを持たれているのならば、是非、金剛禅の道院にいらしてみてください。

ホームページにはまだ載っていない道院も多いので、ぜひ、お近くの道院を調べてみてください。

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鍛え方のポイントは「礼・目・声・手足」

今日は頂いたメールへのお応えです。

 

「ブログを拝見しています。毎日のように更新されていて、読みごたえもある内容に驚いています。以前に教員研修会で先生のお話を伺ったことがあり、子供たちの指導に迷うと先生から頂いた資料を見直して障がい児本人のしなければならないこと、保護者がしなければならないこと、教員がしなければならないこと、福祉がしなければならないことと、それぞれへのメッセージがしっかりと書き込まれていて、他の立場を知ったうえで自分が教員として何をしなければならないかを確認しなおしていました。先生のブログを見つけて楽しみに読ませていただいています。ぜひ、子供たちのどんなところを教員として育成していけば良いのか取り上げて頂けないでしょうか、よろしくお願いいたします。」

というメールですね。

 

私は四つの鍛えどころを心得られていると成果が出ると感じています。

➀礼

私は子供たちに世の中に出ていくための最低限の力として、周囲からの支援を受けやすくするための挨拶の仕方として、「〇〇さん」と呼び掛けてからの挨拶や会話、返事を訓練することから始めさせます。名前を呼びかけさせることで相手に意識させることが、指示をもらいやすくなる環境を作り出すことになります。

②目

次に知能を使わずに仕事を覚えやすくするための手段として観察力を引き出すこと。仕事を覚えやすくするだけではなく、何も出来ないと思っていた子供に検品能力を見つけ出すことが出来たりします。訓練方法は間違い探しです。似た絵をならべ、違っているところへ違和感を持たせることで、観察力や集中力が身に付きます。

③声

どんどんと会話をする中で子供たちが安心できる相手だとあなたを認識し始めれば、場面緘黙の子供であっても、あなたの方に目を向けて話せるようになるでしょう。笑顔で話し続けることで、コミュニケーショ力が子供たちにもついてきます。

④手足

手足を使って自分で物を作らせていく事です。何度も作らせていく中で、要領を覚えますし判断力もついてきます。結果として行動力を引き出すことが出来る様になってきます。

 

以上の4点を指導者が心得て指導しましょう。周りで「~してあげる」という保護された教育では社会に出てやって行ける力を引き出したり、育てたりすることは出来ないと思います。色々な工夫で指導されてみてください。

 

今回のように、皆さんからの質問や相談をお待ちしています。

様々な指導力を育成する勉強としても金剛禅の道院で少林寺拳法を学んでみませんか、見学や体験入門から始めてみてください。最寄りの金剛禅の道院へご連絡ください。

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知っていますか、少林寺拳法を

今日は、「ブログを拝見して、なぜ少林寺拳法の事ではなく、悩みの相談や、教育について等を語られているのですか、少林寺拳法は武道ですよね、疑問に感じました。ぜひ教えてください。…」というメールを頂きましたのでお応えします。

 

少林寺拳法を武道としてとらえてしまうと「武道の先生なんかに相談しても脳筋な考え方で、相談にもならないでしょ・・・。」というイメージを持たれている方も多いでしょうか。

武道というと師と弟子といった上下関係の中で、戦い方ばかりを鍛えているような団体は確かに多いですから、嫌われる方も多くいらっしゃるでしょう。

金剛禅における少林寺拳法は「単なる武道ではなく、自己確立・自他共楽という精神を身に付ける」ための行(手段)です。

随分前のことになりますが、国際武道大学の柔道の先生が「武道は情操教育に役に立つ」ということを論じようと、武道各団体にアンケートテストを受けてもらい調査したことがありました。

結果は少林寺拳法は、調査に参加した他の団体と明らかに違い、経験年数や段位によって的確に数値がよかったという答えが出たために、その先生が我々の道院長研修に来て発表してくださったことがあり、当時、おおきな話題となりました。

少林寺拳法は他の武道とは目的が違い、学び方も違います。

物事を考えて行動するのではなく、上下関係を重んじ、指示に従うという傾向の強い日本の社会の中で、私たちは兄弟や同志、愛する人たちと信頼し合い、横のつながりを強く説いています。誠実に相手を認め、拝みあう社会を目指しています。挨拶もそういう思いを込めて合掌なのです。

日々の訓練の中で「金剛禅の教えを学べる」という環境が、肉体的な強さへの追及から、精神性の向上へと移り変わっていくという特徴を持っているのです。

他者との競争による目的の達成ではなく、個人の強化と他者との協調による理想の実現という目標が、個人の変革を促すのです。

結果、求める「強さの目的」も、「目的を達成するための手段」も全く違ってくるのです。

居場所を求められる方、自分を変えたいと思う方は、是非、金剛禅の門を叩いて話を聞いてみてください。

「聞く力・観る力・話す力・説く力・集う力」がとても養成され、あなたを救う力が身に付いてきます。

一緒に楽しく修行してみませんか。

 

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(相談・質問 いつもありがとうございます。皆さんからのメールでブログの更新も順調です。是非、以前に書いたものも見直し続けてください。以前には見えていなかったことが見えてくると思います。これからもよろしくお願い致します。)