今日は、「礼・目・声・手足」の中の「声」について

声というのは他人と会話する、あなたの意思を伝えるというとても大切な力を持っています。

「少林寺拳法」は何故、金剛禅で主行になっているかを考えてみてください。

開祖は私たちに「どうか『突け、蹴れ、お前は足が三寸高くなった、えらいやっちゃ』なんて、そんなくだらない指導者になるな。」と言いながら、少林寺拳法を学ばせていました。私たちが指導者として、後進を指導するときにミットを持ち合って「はい蹴り合いなさい」と指示を出すだけでは何の成長も得ることは出来ません。

「ここはこうしてこっちから蹴ってみてくれんか・・・おお良いぞ、今度はこちらからこういう蹴りをしてみな・・・こう蹴るのと、こう蹴るのでどちらが受けづらいと思う。・・・こう蹴る方だと思います。・・・そうだね、よくわかったね良いよその通りだ。」

こういう会話が練習の中で出来ると君たちは、すごく分かりやすく覚えることが出来ますよね。

自信も付きます。

これは声をかけることで他者を導き、力を伸ばさせる力をあなた方が身に付けるという訓練になっているのです。

指導力を身に付けるという訓練です。

自分が教えるものを研究できていなければ、何も教える内容が持てないのです、だから自分の追及も怠らない。先に進むから教えることが出来るのです。

先輩は後輩を出来る様にして褒めなさい。褒められるように出来たらその自分を誇りに思いなさい。それが自分を成長させる大きなカテになっていくのです。

言葉が足りんでは修養にはなりません。

言葉を正しく使い導くことを「正語」と言います。

 

私が働いている会社には知的障害を持った社員がいっぱい働いています。見学に来る人がとても多いのですが、皆さんが「本当にこの人たちが障がい者なのですか!!」と驚かれる。

ただ、「これをやって働いてください」では理解できない人たちがしっかりと働いているからどうやって指導すればこう出来る様になるのかと驚かれ、話題になるのです。

私は金剛禅の修養で得た指導力という力を使ったからこういうことが出来るようになったのです。

(浜松市のホームページです、実践例として、ぜひご覧になってください。)

https://www.city.hamamatsu.shizuoka.jp/syoghuku/welfare/obstacle/syurousien/hyosyo/01a.html

こういう力を持ち、社会の中で使えるようになってください。

あなたは周りの人たちから必ず必要な人だと認識されるようになります。

「もっと立派な社会人として役に立つような指導者を少林寺拳法は育てたい。」それが開祖の遺志であり、私たちの目指すところなのです。

ぜひ、皆さんも少林寺拳法を学んでみませんか。金剛禅の道院では皆さんをお待ちしています。最寄りの道院のご案内をホームページから探すことが出来ます。

是非、見学や相談にいらしてください。歓迎いたします。

                    道院長 江間秀樹

Mail hideki362018772@gmail.com

携帯 090-3835-9109(ショートメールでご連絡ください)

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