子供の自立と親のかかわり方

観察力があり呑み込みの早い弘章君。

昨日の法話は彼をめぐって「親と子のかかわり方」という論議になってしまいました。

子供の考え方と親の考え方の違いを、皆もよく感じとれたのではないでしょうか。

 

親にとって子供に求めることって何でしょう。

「してあげる」という態度を身内が止めなければ、「してもらって当然」と思う子が育って当たり前だとは思いませんか。

親が子供を心配しすぎる余り、いつまでもかまい過ぎれば、子供は頼みやすい親に押し付け、依頼心が強くなっていくのです。いつまでも親が出て解決しなければ何も自分では出来ない、判断力も、責任感も無い人間になってしまうのは必然ではないでしょうか。

社会に出れば、自分中心ではいられない現実ばかりで、当然、負うべき分担からも逃げているようでは、負担の増える周囲の誰からも受け入れられず、居場所のない子にしてしまうことになります。

いつも親を頼り、頼れる親がいなければ不安に圧し潰されてしまうようになってしまってもいいのですか。それでは親もいつまでも「この子はやって行けるのか・・・。」と不安を抱え続けて行かなければなりませんね。

ならば、「親亡き後」を考え、教えるべきは「自分で自立して生きていける力」を養わせることではないのですか。

子供が熱中することがあるのならば、それは幸いだと考え、どんな方向性で生きていく術に結び付けられるのかを考え期待してあげた方が可能性の芽を伸ばすでしょうね。

子供が集中できる、環境を整えてあげた方が自分で力を伸ばしていくものです。

「一芸に秀でる者は多芸に通ずる」という諺がありますが、会得の仕方を身に付ければ、その経験を活かし成長出来る様になっていくのです。

子供は色々なことにチャレンジして能力を身に付け、自分の可能性を見つけ出していく事が重要なので、親の言うことを聞いてよい子にしていれば良い等と考えさせてしまう方が失敗だと私は思います。

金剛禅では「己こそ己の寄るべ、己をおきて誰に寄るべぞ、良く整えし己こそまこと得難き寄るべなり、自ら悪をなさば自ら汚れ、自ら悪をなさざれば自らが潔し、潔きも潔からざるも自らのことなり、他の者に寄りて潔むることを得ずと唱え、「自立」という方向性を示した上で、物事の学び方(修行の心得)を教えています。

子供にとっては理解の出来ない、「押し付けにしか感じなくなってしまう」教え方では何も身に付きはしません。

他人から見れば親が安心したいだけで、子供の将来を考え干渉しすぎです。

家族で相談しながら本人の納得できる予定表を作り、目覚まし時計でも与え時間を自分で管理させることから始めてはいかがですか。

一歩一歩の自立に向けた成長を褒めて伸ばせばお互いにストレスが無くなっていきますよ。

男は社会のなかでもまれて強くなっていかなければ、自分の新しい家族をつくり、支えていく力を身に付けることは出来ません。いつまでも心配していたいですか。

言い方がきつくなるかもしれませんが、いつまでもオシメを替えているようなかかわり方ではダメですね。親のかかわり方も「育てる」から「鍛える」に変化させ、離れ「自立させる」と変化していかなければなりません。

金剛禅では、これを「拳の三訓」として説いています。拳士たちには別の表現で教えていますが、親御さんに解りやすく説明しますと

「主」=「愛という基本を教え育てる」

「破」=「自分の愛を身に付けさせる」

「離」=「自立させ自分の愛を守らせる」

という関わり方の変化です。

不安は言い出せば大きくなっていくだけです。負の感情から抜け出すために

「心配せずに、怒る心も持たず、成長を感謝して、物事に励む、他人への親切を忘れない」

そういう姿勢で、ご自身の安心も築かれてはいかがでしょうか。

また、ご相談ください。

 

Mail hideki362018772@gmail.com

 

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