今日は質問へのお応え 5回目
『 ⑤数をかけ経験知・判断力を養う(経験したことを記憶する訓練)
「理解すること」と「出来ること」とは違います。理解不足・不慣れでは仕事に「滑らかさ」が出せません。経験を積み重ね洗練された動きの獲得、「そのタイミングでそれを行う」という訓練が重要です。 』
この部分に対するご質問ですね
「同じことをやろうとすると、飽きて集中できなくなってくるので、なかなか、上達は難しいのです。」というご意見だったと感じました。
これに対するお応えは「目標の持たせ方を工夫すること」だと思います。
「こうなるためにはこれが必要なんです。こうしなさい。」という指導の仕方すると、一見、目的を説いているように見えているのですが、この方法では目的自体に自分の意思が生まれず理解できていない場合が多く生じます。集中力や熱意を持った行動を生み出すことは難しいでしょう。
私はよく質問をするのです。「君はこうなりたい。それとも、こうなりたい。どちらが良いと感じますか?」という質問です。価値観を高く持てるように誘導していく事で「目的にに向けた努力」を引き出すのです。そこで「こういう手段があるのだけどやってみるかい?」と促し、次にちょっと先生の手を見ていてごらん。今からグーとチョキとパーを出すからね。
「グー、チョキ、パー」「グー、チョキ、パー」「グー、チョキ、パー」「グー、チョキ、パー」「グー、チョキ、」
みんな、次に先生が出すのは何かな?
生徒たちはみんな大きな声で「パー」と答えてくれました。
『みんな同じ事を繰り返していると、次がどうなるのか分かるようになることが多いだろ、それに、迷うことが無くなり、早くできるようにもなるよね、さっき動画で見た、お兄さんの仕事はとても速かったよね、こうやって出来るようになったんだよ。あんなにしっかり働いてくれる人が仲間にいたら君なら「助かるな」と思わないかい、「邪魔だ」と思うかな?』
「それが、戦力になって支えあうということなんだよ」と教えたのです。子供たちは目を輝かせながら、その後のお話にも集中してくれていました。
金剛禅では、「やりなさい」という苦行ではなく、目的意識を引き出す、養行を練習形態としています。「修行」とは言わずに「修養」と呼んでいるのもその姿勢から生まれた言葉です。釈迦の教えにもあるように、張り詰めすぎた弦は切れるが、少し緩んだ弦は良い音を出すという取り組み方なのです。
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道院長 江間秀樹
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